混迷するシリア:歴史と政治構造から読み解く(復刻版)

青山 弘之 本稿は、2012年12月19日に岩波書店より出版された『混迷するシリア:歴史と政治構造から読み解く』(ISBN:9784000229234、体裁:B6 ・ 並製 ・ カバー ・ 158頁)の内容を一部改訂し、HTMLに変換した復刻版である。 目次 序 第1章 バッシャール・アサド政権は「独裁体制」か? 1 モザイク社会としてのシリア 2 「ジュムルーキーヤ」への道 3 権力の二層構造 4 亀裂操作 5 市民社会建設に向けた実験 第2章 東アラブ地域の覇者 1 アラブ・イスラエル紛争:地政学的ライバル 2 レバノンへの関与:二つの国家、一つの人民 第3章 反体制勢力の「モザイク」 1 交錯する類型 2 反体制運動の高揚 第4章 「アラブの春」の波及 1 改革要求運動 2 体制打倒運動 第5章 「革命」の変容 1 政治化:反体制勢力の迷走 2 軍事化:武装集団の台頭 3 国際問題化:混乱のさらなる助長 終章 弾圧と「革命」に疎外される市民 参考文献一覧   本書関連地図(筆者作成) 凡例 本書における外国語(アラビア語)の固有名詞のカタカナ表記は、一部の例外を除き大塚・小杉・小松他編 [2002: 10-15]と帝国書林編集部編 [2009]に従った。ただしアラビア語の定冠詞「アル=」、「アッ=」、「アン=」は原則として省略した。 序 チュニジアで2010年10月末に始まった政治変動は、同年2月までにアラブ世界のほぼ全域に波及し、同地域に未曾有の変化をもたらした。のちに「アラブの春」とよばれることになるこの政治変動により、チュニジア、エジプト、イエメンでは大統領が退任し、リビアではNATO(北大西洋条約機構)の軍事介入によってムアンマル・カッザーフィー(カダフィ)政権が崩壊した。バハレーンでは、政権がサウジアラビアを中心とするGCC(湾岸協力会議)治安維持軍の支援を受け入れ、平和的な抗議運動を徹底弾圧した。これ以外の国々でも、例えば、モロッコやヨルダンで市民による改革要求に応じるかたちで内閣交代や憲法改正が断行された。 2011年3月半ばに「アラブの春」はシリアにも波及した。同国では毎週金曜日のモスクでの礼拝後、地方都市や農村で若者たちが中心となって街頭デモを行い、バッシャール・アサド(以下B・アサド)政権に抜本的な改革を求めた。これに対して、政権は警察・治安維持部隊だけでなく軍も投入して容赦ない弾圧を加えた。弾圧によって多くの市民が犠牲となるなか、デモは次第に過激化し、参加者は体制打倒、さらには大統領の処刑を主唱する一方、軍の離反者らが武装闘争を開始した。反体制(武装)闘争と弾圧の応酬によって、犠牲者の数は増加の一途を辿り、ロンドンを拠点に活動する反体制組織のシリア人権監視団によると、2011年3月半ば以降の死者数は、2012年10月13日段階で、民間人23,630人、軍兵士8,211人、離反兵1,242人、合わせて33,083人に達するという(al-Marṣad al-Sūrī li-Ḥuqūq al-Insān (https://www.syriahr.com/、2012年9月閲覧))。 「アラブの春」は、長期「独裁政権」のもとで政治腐敗や経済格差に喘ぐ市民が、「怒りの壁」を打ち破って変化を要求した「民主化」革命だと理解され、アラブ世界に「第4の民主化の波」(1)が押し寄せたと高く評価された。中東地域における権威主義体制の典型と目されてきたシリアでの抗議運動もまた、「独裁政権」に対する「民衆革命」として展開しているように見え、その地平には「民主主義」という理想的な政体が用意されているかに思えた。しかし現在もなお混迷が続くシリア情勢には、こうした勧善懲悪や予定調和に基づく「民主化」論のなかに押し込めるだけでは充分理解できないさまざまな要素が見え隠れしていた。 シリアの現実を捉えられないメディア その筆頭にあげられるのがメディアの報道だった。ジャズィーラ・チャンネル(アルジャジーラ)やアラビーヤ・チャンネルといったアラブ世界の衛星テレビ局、そして欧米諸国の主要メディアは、デモの激しさや政権の非道さを連日報道した。これらのメディアが報じるデモや弾圧の光景は、その多くが紛れもない事実であり、観る者に大きな衝撃を与えた。しかし、こうした報道のなかには当初から、事実確認がなされていない情報、あるいは故意に歪曲・ねつ造されたと思われる情報が散見された。 「アラブの春」発生当初から煽動報道と批判されてきた報道姿勢はまた、多くの場合、現体制を「悪」、それを打倒しようとする反体制運動を「善」と価値づけし、後者への支持を視聴者に暗に迫っているかのようだった。我々にとって遠い存在に思える中東地域の政治報道において、ある程度の一般化や単純化は理解を促すうえで効果的である。しかし、それは、自国の問題を報じる場合と同様、価値判断を排除した冷静で多角的なアプローチがなければ、何の意味もない。 勧善懲悪や予定調和への依拠は、情報の送り手に限られたものではなく、情報の受け手にも見られた。筆者はシリアに「アラブの春」が波及した当初から、ウェブサイト「シリア・アラブの春 顛末記:最新シリア情勢」(http://syriaarabspring.info/)を通じて、アラビア語の情報を可能な限り網羅的かつ中立的にフォローし、発信することを心がけてきた。しかし、同サイトを通じて発信される情報のなかで閲覧者の注目を集めたのは、反体制勢力の攻勢、政権による卑劣な弾圧など、主要メディアにおいて強調されていた内容に近いものが多かった。混乱が長期化するなかで目立つようになった反体制武装集団による殺戮行為やB・アサド政権による秩序維持に向けた努力への関心は比較的低かった。 こうした関心の差がどのような理由によるものかを断定することはできないが、シリア情勢への関心もまた、勧善懲悪と予定調和によって規定されてきたと推察することができる。すなわち、シリア情勢について情報を得ようとする際、この価値基準に合致した情報により多くアクセスし、それにそぐわない情報を無意識に排除する傾向があったように思える。しかしこうして得られた部分的情報を総合してシリア情勢の全体像を描き出そうとしても、そこから導出されるイメージは、シリアの現実とはずれてしまう。 「民主化」論への違和感 シリア情勢を単純化された「民主化」論に押し込めることへの違和感は、紛争の渦中に身を置くシリア人の対応によっても強くなった。例えば、カタール教育科学地域開発財団が主催する「カタール・ディベーツ」が2012年1月に行った世論調査では、アラブ各国の調査対象者の81%がB・アサド大統領の退陣を支持していたのに対して、シリア人対象者の55%が彼の退任への不支持を表明した(Arab Debates … Continue reading 混迷するシリア:歴史と政治構造から読み解く(復刻版)