シリアにおける分権制・連邦制の行方:アサド政権vs.クルド民族主義組織PYD

CMEPS-J Report No. 49(2019年10月22日作成)

青山 弘之(東京外国語大学・教授)

*本稿は『国際情勢紀要』第89号(2019年3月、pp. 115-138)所収論文を再録したものです。

目次

Ⅰ はじめに
Ⅱ 分権制・連邦制の類型概観
Ⅲ シリア政府がめざす分権制
Ⅳ PYDがめざす連邦制
Ⅴ おわりに

文献リスト

Ⅰ はじめに

 

シリア内戦は8年にわたる混乱を経て、終わりを迎えようとしている。ロシア、イランの支援を受けたシリア政府(バッシャール・アサド政権)は、反体制派支配地域をほぼ制圧し、難民・避難民の帰還を軸とした復興に本腰を入れようとしている。一方、北東部では、イスラーム国との戦いで米主導の有志連合と共闘したクルド民族主義組織の民主統一党(Partiya Yekîtiya Demokrat、PYD、2003年結成)が支配を強めている。

シリア政府とPYDの政治闘争の行方は、諸外国の思惑もあり、依然として不透明ではある。シリア政府は、暴力による体制打倒をめざす反体制派と一線を画すPYDを「愛国的反体制派」(al-mu‘āraḍa al-waṭanīya)と認めつつも、米軍駐留を是認する姿勢を由としない。PYDも反体制派との戦いや対トルコ関係においてシリア政府と戦略的関係を築く一方で、実効支配を既成事実化しようとしている(地図を参照)。

本論は、このように微妙な関係にあるシリア政府とPYDのそれぞれが、分権制・連邦制に関していかなるヴィジョンを持っているのかを考察することを目的とする。分権制・連邦制に着目するのは、それが両者の政治闘争における最大の争点だからである。以下ではまず、分権制・連邦制の類型を概観する。そのうえで、シリア政府、PYD双方のヴィジョンが体系的に示されている法律や文書に着目し、類似点や相違点を明らかにする。

地図(2018年11月現在)

(出所)筆者作成。

Ⅱ 分権制・連邦制の類型概観

 

世界15カ国の連邦国家の権力分掌の実態を体系的に論じた岩崎[1998]は、分権、ないしは自治の類型を四つのメイン・モデルと四つのサブ・モデルに分けて整理している。

1. 分権のメイン・モデル

分権のメイン・モデルとは、連合型分権(confederalism)、連邦型分権(non-centralization)、単一型分権(de-centralization)、そして出先型分権(de-concentration)である。これら四つは、(1)中央政府と地方の自治体の組織関係、(2)両者間の命令系統(決定権、執行権)の関係、(3)両者の権限の根拠、(4)市民との関係などを基準として分類される。

(1) 連合型分権

連合型分権は、中央政府に相当する「全体の共通機関」(岩崎[1998: 2])が「それを構成するメンバー」(岩崎[1998: 2]、以下「構成メンバー」)によって創り出されている点を特徴とする。

自律した政体である「構成メンバー」は、個々に対処するよりも、他の「構成メンバー」と共同で取り組む方が有利だと判断する問題に対して、「全体の共通機関」を設置し、それに対処する権限を付与する。それゆえ「全体の共通機関」の地位と権限の行使は、「構成メンバー」の影響下にあり、「構成メンバー」の権力行使を遮断できない。また「全体の共通機関」は付託された問題に関して決定権を有するが、その決定に拘束力はなく、「構成メンバー」が批准して初めて効力を持つ。「全体の共通機関」と「構成メンバー」は決定権、執行権を分割しているが、最高決定機関と最高執行機関はいずれも「構成メンバー」になる。

市民との関係については、市民は「構成メンバー」において参政権を有するだけで、「全体の共通機関」は「構成メンバー」を通じて間接的に市民と関係を有しているに過ぎない。

(2) 連邦型分権

連邦型分権は、中央政府に相当する「連邦政府」(岩崎[1998: 3])と地方政府に相当する「連邦構成政府」(岩崎[1998: 3])が対等である点を特徴とする。

「連邦政府」が「連邦構成政府」の統合によって成立する点では、連合的分権と類似しているが、両者の地位と権限は、憲法などの基本法において規定されている点で異なる。一方が他方の地位や権限を操作することは困難で、両者は法の下で対等な関係に置かれている。また、相互不可侵が原則で、基本法の解釈を行う司法が両者の分権において重要な役割を果たしているのも大きな特徴の一つである。また「連邦政府」と「連邦構成政府」は決定権、執行権を分割している点で連合型分権と共通しているが、両者がそれぞれの所轄において最高決定機関、最高執行機関としての権限を有している点で異なっている。

市民との関係においても、市民は「連邦政府」と「連邦構成政府」の双方に参政権を有し、両者が市民を直接統治する。

岩崎[1998: 3]によると、このモデルのみが、連邦制(federalism)を規定するものだという。

(3) 単一型分権

単一型分権は、「中央政府」(岩崎[1998: 3])によって「地方政府」(岩崎[1998: 3])が創り出される点を特徴とし、この点において連合型分権と対称をなす。

「地方政府」は、「中央政府」の法律により、その地位や権限を規定され、また「中央政府」の影響下に置かれている。「地方政府」は決定権(条例制定権)を有することもあるが、その権限は「中央政府」の法令によって左右され、「中央政府」が最終決定機関であり、すべての分野において決定権を行使する点で、連合型分権、連邦型分権と大きく異なる。「地方政府」は決定機関になり得ることもあるが、「中央政府」の決定の執行機関としての役割が強い。

市民との関係については、連邦型分権と同じで、市民は「中央政府」と「地方政府」の双方に参政権を有し、両者が市民に直接関与する。

(4) 出先型分権

出先型分権は、中央と地方に組織がまたがっている点を特徴とする。すなわち、中央と地方は、「本省」(岩崎[1998: 4])と「出先」(岩崎[1998: 4])の関係にあり、後者が前者の一部をなすかたちで分権が行われる。

「本省」は、すべての地域に目配りができないため、「出先」をその窓口として設置し、分業を行う。この分業は、決定権と執行権を分担する機能的分業と、「出先」どうしによる地域的分業の二つの側面がある。地域の業務は概ね、「出先」によって執行される。だが、「出先」には決定権がないため、高度な判断を必要とする場合は、「本省」に指示を仰がねばならない。

市民と関係において、「出先」は地方の業務において市民と接触することはあっても、公式なチャンネルは有さず、従って市民のニーズに対応する権限はない。

2. 分権のサブ・モデル

分権のサブ・モデルは、決定と執行の観点から、中央と地方の関係を類型化したもので、①中央の決定を地方が執行する際の裁量の有無、②地方に関係する中央の決定への地方の影響力の行使の有無、という2点に基づき、表1に示した四つに分類できるという(岩崎[1998: 6-8])。

表1 分権のサブ・モデル

(出所)岩崎[1998:7]をもとに筆者作成。

このうちⅠ型(中央の決定を地方が執行する際の裁量、地方に関係する中央の決定への地方の影響力の行使のいずれも「有」)は、メイン・モデルの連邦型分権に極めて近くなる。一方、Ⅳ型(中央の決定を地方が執行する際の裁量、地方に関係する中央の決定への地方の影響力の行使のいずれも「無」)は出先型分権に近い。だが、メイン・モデルとサブ・モデルは一対一で対応するものではなく、サブ・モデルはメイン・モデルにおいて示された類型の多様性を把握するための下位類型をなしている。

以上の類型化を踏まえたうえで、岩崎[1998:8]は、権力の一元化・多元化の観点から、メイン・モデルとサブ・モデルの相互関係を検討し、分権の度合いが高い制度であっても、中央集権的な実態を有するケース、あるいは中央集権的な制度のもとでも、分権が進んでいるケースがあると指摘している。この点、すなわち、分権制・連邦制の諸類型の制度と実態をめぐるアンヴィバレントな関係こそが、以下で見るシリア政府とPYDのヴィジョンにおける類似性と相違性の併存を要約している。

Ⅲ シリア政府がめざす分権制

ハーフィズ・アサドが確立し、バッシャール・アサドが受け継いだシリアの政治体制は、「アラブの春」波及以前は国家元首である大統領に絶大な権力が集中していた。それは、中央と地方の関係においても例外ではなく、分権の度合いが低い中央集権型の統治、すなわち岩崎[1998]が示したメイン・モデルの単一型分権、サブ・モデルのⅣ型に近いものであった(1)

だが、2011年3月に「アラブの春」が波及すると、シリア政府は抗議デモでの要求を先取りするかたちで、包括的改革プログラム(2)を称される大胆な改革に着手した。地方都市で繰り返された抗議デモの背景に地方自治をめぐる不満があったことから(青山[2012:77])、このプログラムは、従来の中央集権型の統治の改編にも及んだ。具体的には、政府は2011年政令第107号(以下改正地方自治法)(3)の施行(2011年8月23日)と新憲法(以下2012年憲法)(4)の公布(2012年2月27日)をもって、分権化に向けて舵を切ったのである。

本節では、2012年憲法と改正地方自治法に着目し、その前身である1973年に公布された旧憲法(以下1973年憲法)(5)と1971年政令第15号(1971年5月11日施行、以下旧地方自治法)と対比させながら、シリア政府が思い描く分権制のヴィジョンを明らかにする。

1. 2012年憲法

2012年憲法は、包括的改革プログラムの一環として施行された政党法(2011年政令第100号)や改正選挙法(2011年政令第101号、いずれも2011年8月4日施行)を踏まえ、政治的多元主義と文化的・民族的多様性を強調している(6)

政治的多元主義に関しては、第8条第1項で「国家の政体は政治的多元主義の原則に依り、権力は投票を通じて民主的に行使される」と明記している。また、文化的・民族的多元性については、前文の「鼓動するアラブ性の心臓」、第1条第1項の「シリア・アラブ共和国の国土は…アラブの祖国の一部をなす」、そして同第2項の「シリア国民はアラブ民族の一部をなす」といった文言をもってアラブ人の優位性を誇示しつつ、第8条第4項で「宗教、宗派、部族、地域、宗教、職業に依拠、あるいは性別、出自、人種、肌の色に基づく差別に依拠するいかなる政治活動、政党、政治団体の結成も認められない」と定めている。そのうえで、第9条で「憲法はシリア社会のすべての構成要素が持つ文化的多様性、そしてその多様性のなかにある多元性を保護することを保障し、それをシリア・アラブ共和国の領土保全の枠組みのなかで、国民統合を強化する国民的遺産とみなす」と謳っている。

多元主義と多様性の強調は、支配政党であるアラブ社会主義バアス党(以下バアス党)の理念を反映し、「アラブ性」(‘urūba)を全面に打ち出すことで文化的・民族的な一元性を強調するとともに、ソ連憲法を模した前衛党規定(第8条)によって同党の一党優位を保障していた1971年憲法とは対象的である。

こうした姿勢は中央地方関係にも反映されている。1973年憲法において、法的地位が明示されていなかった地方自治体は(7)、2012年憲法では、第130条および第131条で次のように規定されている。

シリア・アラブ共和国は複数の自治体から構成され、法律がその数、境界、権限、そしてそれらが享受する法的地位、財政、行政上の独立性(ボールド筆者、以下同じ)を定める(第130条)。

自治体の構成は、権力と責任の分権化(lā-markazīya al-sulṭāt wa al-mas’ūlīyāt)の原則を採用することを基礎とする。法律が、中央政府と各自治体との関係、権限、財源、職務監視について定める。また首長の任命、ないしは選出方法、その権限、各部局長の権限についても法律で定められる(第131条第1項)。

2. 改正地方自治法

改正地方自治法は161条からなり(8)、地方自治体の区画、目的、権限などを具体的に定めている。

(1) 目的

改正地方自治法は、第2条でその目的を以下の通り規定している。

    1. 権力と責任の分権化、およびこれらの人民諸集団(9)への集中を、民主主義の原則として実行すること。これにより、自治体(waḥda maḥallīya)議会が有する権限を明確且つ重複のないかたちで拡大、ないしは制限し、人民をあらゆる権力の源泉とし、自治体が、経済、社会、文化、建設といった分野で自らを発展させるため、権限と任務を遂行することが可能となる。
    2. 地方社会にかかる計画立案、執政、開発計画策定、同計画にかかる事業の効率的な実行のための能力を有する自治体を創出すること。これは、自治体の基本的機能、そしてそこでの種々の職務を良質なものとしつつ、自治体の階層を改編し、地方の枠組みを確定することで行われる。これにより、自治体は、すべての階層において、福祉、経済、文化、そして自治体のなかで市民が持つすべての関心事項に対して直接責任を担うことになり、中央当局(10)の任務は、計画立案、法制化、組織化、最新技術の導入、自治体が実施できない大規模プロジェクトの実施に限定される。
    3. 自治体の財政収入を強化し、地方社会における開発面、そして福祉面での役割を担わせること。これにより、地方社会は、責任をもって自らの資源を保全し、この資源の開発を通じて市民の生活水準を改善し、より良い福祉を提供し、経済や開発にかかわる機会を増やすことができる。また、自治体のなかで、就労機会を創出し、福祉と開発における役割の相互補完状態を作り出すのに寄与する。
    4. 地方の枠組みなかで社会を進歩させ、均衡の取れた成長に寄与し、自治体間の協力態勢を確立することで地域間の機会均等を実現すること。これは、大規模プロジェクトを効率的に実行し得る部門間調整を確立することで行われる。
    5. 市民福祉センターの設置を通じて市民への福祉を提供するため合理化された措置を講じること。同センターは、自治体の議会、関係省庁によって定められた規則や条件に基づいて、認可、福祉提供、財政支援のすべてを直接行うことを職務とする。この規則や条件は、政府のインターネット・サーヴィスを通じて入手することができ、それによって努力、時間、資金が拡充される。

なお、旧地方自治法は、第2条第a項において「単一のアラブ社会主義社会」の実現を謳い、単一型分権のもとで、政府の負担を軽減し、民主集中制を拡充することに力点を置いていた(11)

(2) 行政区画

改正地方自治法は、第7条第1項でシリア・アラブ共和国を「法人格と、財政面および行政面における独立性を有する自治体から構成される」と規定したうえで、この自治体が県(muḥāfaẓa)、市(madīna)、町(balda)、基礎自治体(baladīya)などからなるとしている。また、第1条で市以下の階層の自治体の規模を以下の通り定義している。

    • 市:県あるいは郡の中心、ないしは人口5万人以上を有する人口密集地(12)
    • 町:区の中心、ないしは人口10,001人から5万人の人口を有する人口密集地あるいは人口密集地群(13)
    • 基礎自治体:人口5,001人から1万人の人口を有する人口密集地あるいは人口密集地域(14)
    • 街区(ḥayy):市、町、基礎自治体内の区画。市の場合、人口1万人以上、町の場合、人口5,000人以上、基礎自治体の場合、人口4,000人以上、市、ないしは町に帰属する人口密集地の場合、人口1,000人以上とする(15)
    • 郡(minṭaqa):人口6万人以上の県内の区画。郡の中心と直接結びついている村々は除外され、最低二つの区からなる。
    • 区(nāḥiya):人口2万5000人以上の郡内の区画。県中心の郡と直接結びついていてもよい。
    • 村(qarya):旧地方自治法に基づき設置された人口密集地(16)
    • 農場(mazra‘a):旧地方自治法に基づき設置された人口密集地(17)

(3) 地方自治最高評議会

改正地方自治法における最大の特徴は、第3~6条によって地方自治最高評議会(al-Majlis al-A‘lā l-l-Idāra al-Maḥallīya)という新たな機関の設置が定められた点にある。

第3条第1項によると、地方自治最高評議会は、首相が議長を、地方自治大臣が副議長を務め、国家計画協力委員会委員長、各県知事、各県議会議長、地方計画委員会委員長、地方自治省次官から構成される。同条第3項によると、その役割は、地方自治に関わると判断されるすべての問題や措置について、支援、開発、関連法の提案、実施にかかる必要な決定を行うことにある。また第4条によると、地方自治最高評議会の具体的な権限は以下の通りである。

    1. 指定された日程に従い、分権国家計画(al-khuṭṭa al-waṭanīya al-lā-markazīya)を策定し、その実施を監督・支援し、関連各機関と実施のための連携を行う。
    2. 地方の自治体の活動のしくみを明確化するうえで必要な決定を下す。
    3. 条例の制定、および条例、財源、補償に関する見直しを各年で行う。

このなかで、もっとも重要なのは1.の分権国家計画の策定である。第5条第2項によると、同計画は、最長で5年間の計画を確定(1年の延長が可能)し、そのもとで中央の権限(原文では「本法が規定する権限」)が地方議会に移管される。

(4) 地方議会、執行局、首長

地方自治体の決定機関である議会(任期4年)に関して、改正地方自治法は、第13条第1~4項で議員の定数を規定している。すなわち、県議会は、定数が50~100人で、住民1万人に対して議員1人を選出、市議会は、定数が25~50人で、住民4,000人に対して議員1人を選出、町議会は、定数が10~25人で、住民2,000人に対して議員1人を選出するとされている(18)。基礎自治体議会の定数は10人とされている。

議長については、第20条第1項で、議会が選出すると定め、旧地方自治法よりも大きな裁量を地方自治体に付与している。すなわち、旧地方自治法では、第15条において、県議会議長は中央政府によって任命される県知事が兼務すると定められていた。また、市議会議長は、地方自治大臣の提案に基づき議員のなかから選出され、それ以下の階層の地方自治体の議会の議長は、県知事の提案に基づき議員のなかから選出されると規定されていた。

地方自治体の執行機関である執行局(任期4年)(19)に関して、改正地方自治法は、第28条第1~4項において局員の定数を規定している。すなわち、県執行局は、定数が8~10人で県議会議員10人に対して局員1人を選出、県庁所在地および人口10万人以上の都市の執行局は定数8人、人口10万人に満たない都市は定数6人、町と基礎自治体は定数4人(いずれも執行副局長を含む)と定められている(20)

また、第21条第1~3項において、執行局の人事を議会に委ねることで、旧地方自治法よりも大きな裁量を地方自治体に与えている。すなわち、旧地方自治法では、第19条第1項において、執行局員の3分の2以上は議員でなければならないとしたうえで、議員以外の局員は、県および県庁所在地においては、地方自治大臣の提案に基づき任命し、それ以外の階層の地方自治体においては、県知事の提案により任命すると規定されていた。

首長(執行局長)について、改正地方自治法は、第39条において、県知事が中央政府の一員とみなされ、中央政府(大統領)がこれを任命すると規定している。県知事はまた、第44条第3項において、中央当局の命令、指示を(県内の)関係機関に伝え、その実施を監督することを任務とすると定めている。それ以外の階層の首長については、第69条第2項において、地方自治体議会の議長が務めると規定している。こうした首長の地位は、旧地方自治法(第19条第1項、第26条)と変わらない。

地方自治体議会の権限に関して、第31条では、以下3点が定められている。

    1. 分権国家計画に関わっていない中央機関との連携。
    2. 分権国家計画に従って自治体に権限が移管されることになる地方機関の所轄。これは、地方自治体議会の監督と執行局の指導のもとに行われ、具体的には、a. これらの地方機関の業務の優先事項の確定と長期開発計画の承認、b. 年次計画の承認と実施監督、c. 業務評価と業務運営にかかる提案、d. 法律や規則に従った契約の承認、からなる。
    3. 分権国家計画に基づいて、地方自治体に権限が移管される[地方に所在する――筆者補足、以下同じ]中央機関の監督。

このうち県議会に関しては、第33条において「分権国家計画に基づいて地方自治体に移管される省庁、中央機関の権限の行使に必要なあらゆる決定と措置を行う」としたうえで、労働生産性向上、品質改善、コスト削減に必要な計画の承認、ほかの地方自治体議会の活動支援、地方の資産の投資、他県の県議会との協力、県独自の予算の承認、県レベルでの地方機関の年次計画の承認と予算の準備などを行うと定めている。また、それ以外の階層の地方自治体の議会に関しては、第61条で「分権国家計画に基づいて地方自治体に移管される省庁、中央機関の権限の行使に必要なあらゆる決定と措置を行う」と規定している。

以上、本節では2012年憲法と改正地方自治法の内容に着目し、シリア政府が包括的改革プログラムを通じて分権化を推し進めようとしていることを確認した。むろん、地方自治体は無制限の自治を与えられているわけではなく、政府は依然として多くの権限を維持している。例えば、改正地方自治法の第122条は、大統領に地方自治体の解散権を付与している(21)。また、第44条第2項は、「県知事は国家公務員基本法に基づき、内務治安部隊以外の県の地方公務員の人事を司る」とし、警察・治安機関の人事権を政府に与えている(22)。とはいえ、2012年憲法と改正地方自治法を、1970年憲法と旧地方自治法と対比させると、シリアの分権制が、分権の度合いが低い中央集権型の統治、すなわち岩崎[1998]が示したメイン・モデルの単一型分権、サブ・モデルのⅣ型に近い状態から、Ⅱ型、ないしはⅠ型に変容している事実を確認できる。

この変容のカギを握っているのが、地方自治最高評議会が策定する分権国家計画である。これに関して、改正地方自治法は、第5条第1項において、「指定された日程に従い」、分権国家計画を策定するとし、その期限を法律制定から6ヶ月以内としている。だが、分権国家計画は、現在も策定されておらず、分権制に関するシリア政府の具体的なヴィジョンはいまだ示されていないのが実情である。

Ⅳ PYDがめざす連邦制

クルド民族主義と言うと、クルド人を国民とする領域主権国家の樹立をめざすイデオロギー潮流・運動だとのステレオタイプが根強い。しかし、PYDを含むシリアのクルド民族主義勢力は、分離独立をめざさず、シリアという既存の国家のなかでのクルド人の民族としての地位承認、政治経済への参与、制度的差別(いわゆるクルド(人)問題(23))の撤廃および補償要求を掲げる点で概ね共通している。

北東部で領域支配を確立したPYDも、シリアという国家を前提として、既得権益の維持強化をめざした。その試みは支配地域における自治政体の樹立と、「連邦制」(al-fīdrālīya)への体制転換を模索するかたちを取った。

以下では、PYDによる自治の試みを通史的に概観したうえで、同組織の主導のもとに発足した(ないしは発足が試みられた)自治政体において基本法の役割を果たした(ないしは果たすはずだった)二つの文書、すなわち2014年の社会契約憲章(Mīthāq al-‘Aqd al-Ijtimā‘ī)(24)と2017年の社会契約(al-‘Adq al-Ijtimā‘ī)(25)に着目する。

1. PYDによる自治政体設置の動き

PYDは、シリア政府が「アラブの春」波及に伴う混乱や、欧米諸国、アラブ諸国、トルコの経済制裁に対処するために辺境地域から「戦略的撤退」したことを受け、同政府に代わって、支持者が多い北東部の農村で自治を開始した。この試みは、2004年に結成されていた民兵(武装部隊)の人民防衛隊(Yekîneyên Parastina Gel、YPG)による治安維持活動(そして政敵の粛清)、2013年11月に結成された社会運動体の民主連合運動(Tevgera Civaka Demokratîk‎、TEV-DEM)による民政自治を通じてかたちを得ていった。そして、2014年1月、PYDは暫定自治政体である西クルディスタン移行期民政局(al-Idāra al-Madanīya al-Mu’aqqata li-Gharb Kurdistān – Sūriyā、通称ロジャヴァ(Rojava、クルド語で「西」を意味))の発足を主導し、支配を制度化した。

PYDの支配地域は、YPGが米主導の有志連合の全面支援を受けて、イスラーム国の殲滅を目的とする「生来の決戦作戦」の一翼を担うことで拡大を続けた。YPGは、2015月10年に米国の肝煎りで結成されたシリア民主軍(Syrian Democratic Forces、SDF、Qūwāt Sūriyā al-Dīmuqrāṭīya、QSD)の中核を担い、各地でイスラーム国と交戦、2017年末までには、ラッカ県やダイル・ザウル県のユーフラテス川東岸地域、同川西岸に位置するアレッポ県マンビジュ市一帯、ラッカ県タブカ市一帯を制圧した。

PYDは、拡大した支配地域での自治を整備するために二つの施策を講じた。

第1は、恒久的な自治政体の北シリア民主連邦(al-Fidrālīya al-Dīmuqrāṭīya li-Shamāl Sūriyā、当初の呼称はロジャヴァ北シリア民主連邦(al-Fidrālīya al-Dīmuqrāṭīya li-Rūjāfā – Shamāl Sūriyā)(26))の樹立に向けた動きである。これはロジャヴァ傘下の北シリア民主連邦樹立評議会が2017年7月28日、後述する行政区画法と選挙法という二つの「法」を制定・施行することで推し進められた。だが、2018年1月20日にトルコ軍が反体制武装集団とともに「オリーブの枝作戦」と称して、アレッポ県アフリーン市一帯に本格侵攻し、3月までに同地がトルコの占領下に置かれることで、連邦構想は頓挫した。

第2の試みは、シリア民主評議会(Majlis Sūriyā al-Dīmuqrāṭīya)と呼ばれる政治組織を軸とした動きである。この組織は、2015年12月、SDFの政治母体としてハサカ県マーリキーヤ市で発足し、クルド系住民が多い北東部の自治を担うとともに、アラブ系住民が多いマンビジュ市、ラッカ市、タブカ市、ダイル・ザウル県各地で自治に取り組む幾多の民政評議会(majlis madanī)を傘下に置いた。

シリア民主評議会は、2018年7月に開催された第3回大会で、SDFの支配地域全域の統治を目的とする新たな自治政体の樹立を決定し9月に北・東シリア自治局(al-Idāra al-Dhātīya li-Shamāl wa Sharq Sūriyā)が発足した。同自治局は、ロジャヴァや各地の民政評議会の代表70人からなる意思決定機関(議会に相当)の総務評議会と、16の委員会と局(省に相当)(27)から構成される執行機関(政府に相当)の執行評議会を持ち、トルコが北東部のユーフラテス川東岸地域への侵攻の準備を本格化させた12月に活動を開始した。

2. 社会契約憲章

PYDは2014年初めまでに、クルド系住民が多いハサカ県北東部の農村地帯、アレッポ県北東部のアイン・アラブ(コバネ)市一帯、同県北西部のアフリーン市一帯の3地域を実効支配下に置いた(28)。ロジャヴァは、これらの地域をそれぞれジャズィーラ地区(muqāṭa‘a)、コバネ地区、そしてアフリーン地区という三つの自治政体に編成することで2014年1月に発足した(29)。これら3地区の基本法としての役割を果たしたのが、同月に各地区で承認された社会契約憲章だった。

(1) 連合型分権

全96条からなる社会契約憲章は、前文において、クルド人、アラブ人、シリア教徒、アルメニア教徒、チェチェン人などといった民族・エスニック集団、宗教・宗派集団の「自決の原則を尊重する」としたうえで、「民族、宗教、信条、教義、人種に基づく差別のない平等」を保障すると強調している。文化的多元主義を提唱している点は、2012年憲法と変わりない。ただし、2012年憲法がアラブ人の優位性を認めているのに対し、社会契約憲章は、第9条において、クルド語とアラビア語を公用語と定め、クルド人とアラブ人双方の優位性を認めている。

一方、政治的多元主義についても、社会契約憲章はこれを唱道している点で、2012年シリア憲法と同じである。だが、前文において、以下の通り定め、中央集権だけでなく、中央政府の存在すら認めていない点で対象的である。

ロジャヴァ(原文は民政局)の諸地域は民族主義的、軍事的、宗教的国家、行政における中央集権、中央政府といった概念を受け入れず、民主主義と多元主義の伝統に合致した政体に寛容である。これによって、すべての社会集団、文化的、民族的、愛国的アイデンティティは、制度の構築、シリア国境や人権憲章の尊重、社会と世界の平和の維持を通じて、自らを表現することが可能となる。

 とはいえ、このことは、PYDがシリアという既存の国家を否定していることを意味しない。社会契約憲章では、第3条第a項で「シリアは自由で民主的な独立主権国家」としたうえで、同第b項で「[ジャズィーラ、コバネ、アフリーンという3つの]地区は地理的にシリアの一部をなす」と謳っているからである。すなわち、ロジャヴァは、社会契約憲章の第3条第a項において「民主的で多元的な総意に基づく議会連邦(barlamānī ittiḥādī)制」に基づく統治を行うとしているものの、実際には岩崎[1998]が示したメイン・モデルの連合型分権をめざしていたことが分かる。ロジャヴァが自らをあくまでも「移行期」の自治政体と位置づけたのは、第7条において「シリア国内のあらゆる都市、地理的地域は、本社会契約憲章受諾をもって、ロジャヴァ(原文は民政局)の地区に加入する権利を有する」と定めていたからである。社会契約憲章は、第12条において、ロジャヴァを「シリアにおける民政局のモデルにして、未来のシリアの一部をなし、連邦制がシリアにとって理想的な政体であるとの認識のもと、未来のシリアは政治的分権体制に基づかねばならない」と主張することで、シリア全土でこの制度が採用されることをめざしていた。

ジャズィーラ、コバネ、アフリーンの3地区そのものに着目すると、それぞれが社会契約憲章を基本法として採択することからも、それぞれが自律した政体であることが分かる。社会契約憲章は、第4条において、地区が立法府に相当する立法評議会、行政府に相当する執行評議会だけでなく、司法府である司法評議会も独自に有すると定めており、地区は地方自治体というよりは、国家に近い。岩崎[1998]が言うところの「全体の共通機関」はロジャヴァには存在しないのである。

ただし、中央集権的な機関が存在しないわけではない。社会契約憲章は、第15条において以下の通り定めている。

YPGは3地区の領土と防衛と領土保全に責任を負う唯一の愛国的な組織である…。その任務と中央軍[シリア軍を想定していると思われる]との関係は、ロジャヴァ(原文は民政局)各地区の立法評議会で施行される法律によって規定される。また、YPGへの命令はその総司令部が発する。ロジャヴァ(原文は民政局)各地区にはアサーイシュ(Asāyish、クルド語で「治安」を意味、別称「内務治安部隊」)総務局によって代表される内務委員会が設置される。

すなわち、ロジャヴァは、防衛任務に関してのみ、YPG総司令部という中央集権的な機関を有している。

(2) 地区の政体

ロジャヴァを構成する地区の政体に着目すると、社会契約憲章は、第7条第b項において、立法評議会、執行評議会、司法評議会のほかに、選挙管理委員会に相当する選挙高等弁務局、立法評議会や執行評議会の決定や行動の法的妥当性を審査する最高憲法裁判所、そして地方自治体に相当する地方評議会からなると規定している。また、第42条でも「包括的で公正、そして持続可能な開発に依拠し、科学技術能力の発展に力点を置く」経済体制を志向すると定めている。

このうち立法評議会(任期4年)は、第45条において「地区における最高立法機関」と位置づけている。第47条によると、定数は、住民1万5000人に対して代議員1人とされている。任務については、第53条において、立法活動を行うだけでなく、中央政府が担うことが多い「国際合意・条約の承認」、「戦争と和平の布告」を行う権限を有すると定めている。

行政は、第54条第a項において、執政官と執行評議会(いずれも任期は4年)が担うと規定している。同条第c、d項によると、執政官を選出するのは立法評議会で、選出された執政官が執行評議会議長を任命する。また、第56条は、立法評議会選挙で過半数以上を得た党、ないしはブロックが評議員となる委員長(閣僚に相当)と議員を選出すると定めている。

第95条によると、評議員を委員長とする委員会は以下の通りである――1. 渉外委員会、2. 防衛自衛委員会、3. 内務委員会、4. 法務委員会、5. 地方自治委員会、6. 財務委員会、7. 労働社会問題委員会、8. 養育教育委員会、9. 農業委員会、10. エネルギー委員会、11. 保健委員会、12. 通商経済委員会、13. 供給委員会、14. 戦没者遺族委員会、15. 文化委員会、16. 運輸委員会、17. 通信委員会、18. 青年スポーツ委員会、19. 環境観光遺跡委員会、20. 宗教問題委員会、21. 女性家族問題委員会、22. 人権委員会。

なお、評議員に関して、第47条は「男女いずれも40%以上でなければならない」としている。また第87条も「すべての機関、局、委員会(省)において男女いずれも40%以上とする」と定めている。クオータ制を採用し、女性の政治参加を促している点はシリア政府の法律には見られない。

3. 社会契約

社会契約は、北シリア民主連邦樹立評議会が、行政区画法(30)と選挙法(31)の制定・施行の約1カ月前にあたる2017年6月30日に公表した。85条からなるこの文書は2018年1月に樹立が予定されていた北シリア民主連邦の「憲法」(Awene Online, July 2, 2017)になるべく起草されたものだった。

(1) 行政区画法と選挙法

北シリア民主連邦に実体を与えたのは行政区画法と選挙法という二つの「法」だった。

行政区画法は、ロジャヴァ発足以降、大幅に拡大したYPG、ないしはSDFの制圧地域を包摂するかたちで自治政体を樹立し、「領土」を明示することを目的としていた。具体的には、ロジャヴァ支配地域を含むSDF制圧地域を地域(iqlīm)>地区(muqāṭa‘a)>郡(minṭaqa)>市(madīna)・区(nāḥiya)・町(balda)・村(qarya)・農場(mazra‘a)という自治体、そしてこれらの自治体の基礎をなすコミューン(kūmūn)に再編した(表2を参照)。

なお、行政区画法は、当時イスラーム国の支配下に留まっていたラッカ市一帯、ダイル・ザウル県一帯、そして米国とトルコがその処遇をめぐって対立していたアレッポ県マンビジュ市一帯については言及していなかった。

表2 北シリア民主連邦構想における行政区画

(出所)青山[2017]をもとに筆者作成。

一方、選挙法は、行政区画法によって画定された各自治体の決定機関となる議会の選出方法や日程を定めていた。具体的には、2017年9月22日にコミューン、11月3日に村、町、区、市、郡、地区の議会(majlis)、そして2018年1月19日に地域の議会にあたる諸人民議会(Majlis al-Shu‘ūb)、および連邦全体の議会に相当する民主諸人民大会(Mu’tamar al-Shu‘ūb al-Dīmuqrāṭī)の議員を選出するという内容だった。

選挙法の規定に従い、コミューン選挙は予定通りに実施された。村、町、区、市、郡、地区の議会の選挙は「立候補者に余裕をもって選挙の準備をさせたい」(ANHA, October 11, 2018)との理由で一時延期とはなったが、12月1日に実施された。だが、諸人民議会と民主諸人民大会の選挙は、前述の通り、トルコによるアフリーン市一帯の占領支配により無期延期となり、北シリア民主連邦構想そのものも頓挫した。

(2) 文化的多元主義

北シリア民主連邦構想は実現せずに終わったが、社会契約の内容を見ると、シリア民主評議会の統治に踏襲された分権制・連邦制に関するPYDのヴィジョンが明らかになる。

社会契約は、社会契約憲章や2012年憲法と同じように文化的多元主義を主唱している。だが、そこにはアラブ人やクルド人の優位性は謳われていない。社会契約は、前文で「我々は、クルド人、アラブ人、シリア正教徒、アッシリア教徒、トルコマン人、アルメニア教徒、チェチェン・チェルケス人、イスラーム教徒、キリスト教徒、ヤズィーディー教徒などからなる北シリア諸人民である」として(32)、クルド人とアラブ人をそれ以外の宗教・宗派集団、民族・エスニック集団と並列させている。また、第3条において「北シリア民主連邦内に存在するすべての言語は、社会、行政、教育、文化といったすべての分野で等しく使用される。すべての人民は自らの言語で、自らの生活を組み立て、自らの暮らしを営む」と規定し、完全な平等を謳うとともに、第22条において、これらすべての集団に「自由な自決権」を保障している。

(3) コミューン主義

社会契約は、前文において「民主連邦制」(al-fīdrālīya al-dīmuqrāṭīya)の樹立を宣言し、これを「西クルディスタン、ベス・ナフライン(Beth Nahrain、シリア語でメソポタミアの意)、シリアにおける歴史、社会、民族の問題に対処するもっとも理想的な政体」と位置づけている。前文によると、この民主連邦制は、「統一されたシリアという地理的概念、そして政治行政の分権」に基づく政体で、その領域は、第8条において「民主的自治(al-dhātīya al-dīmuqrāṭīya)に基づく地域」から構成されると定めている。

第8条はまた、この民主的自治が「宗教・宗派集団、エスニック集団、女性、文化的団体、そしてすべての社会階層からなる民主的連合制(al-kunfīdrālīya al-dīmuqrāṭīya)の組織に立脚する」と規定し、第10条は、そこでは「民主的で環境保全的で協調組合主義コミューン的な生活」(al-ḥāyāt al-dīmuqrāṭīya al-bī’īya wa al-kūmūnālīya al-tashārukīya)が行われると定めている。

「協調組合主義コミューン的な生活」を司るコミューンは、第57条に具体的な記述がある。すなわち、同条第a項は、コミューンが「直接民主制の基礎をなす組織形態であり、行政、組織の分野における意思決定と自治のための機関」で、「あらゆる意思決定の段階において自律的な評議会として機能する」と定めている。また同条第d、j項は、コミューンが2名の共同報道官を監督者とすると規定、「経済、教育、保健、自衛、法務、文化、福祉など、社会の生活ニーズに従って自らを組織する」とともに、「学校、工場、協同組合、農業組合、通商組合を組織する」としている。

社会契約は、第58、60、61、63条において、このコミューンを基礎に、郊外(ḍāḥiya)、村、街区(ḥayy)、基礎自治体(baladīya)、区、郡、地区といった自治体の決定機関である議会を設置すると定めている。また、第61、63条は、このうち区、郡、地区の議会が、執行機関である執行評議会とその共同議長を選出するとともに、各地域の裁判所やアサーイシュ・メンバーの人事権を有すると規定している。なお、社会契約は、第14条において、北シリア民主連邦の各機関が共同議長制を採用するとともに、その構成員の男女を同数にすると定め、クオータ制を採用した社会契約憲章以上に女性の政治参加を促している。

社会契約は、第66条において、北シリア民主連邦におけるもっとも上位の自治体である地域に、内務治安部隊を組織・強化する責任を与えるとともに、外国からの攻撃に対する自衛権を付与し、近隣の諸人民、諸国との外交関係、経済関係、社会関係、文化交流を確立・発展させる権限を有すると定めている。すなわち、地域には、中央政府が通常行使する自衛権、外交権が与えられている。

また、第67条は、地域の決定機関である諸人民議会(任期4年)の議員のうち40%がエスニック、宗教、宗派、文化集団によって直接選ばれた議員、そして60%が一般選挙で選ばれた議員から構成されると規定し、レバノン型の宗派制度(al-niẓām al-ṭā’ifī)を採用している。だが、どの宗教・宗派集団、民族・エスニック集団が選出権を有するか、すなわち社会契約が定める公認宗派は、前述の通り前文において「我々は、クルド人、アラブ人、シリア教徒、アッシリア教徒、トルコマン人、アルメニア教徒、チェチェン・チェルケス人、イスラーム教徒、キリスト教徒、ヤズィーディー教徒などからなる北シリア諸人民である」と記されているだけで明確ではない。

第67条によると、この諸人民議会は、執行機関である執行評議会の共同議長を選出し、この2名によって任命される評議員(閣僚に相当)を承認する権限を有する。また諸人民議会には、司法機関、内務治安機関、広報出版機関の人事権も付与されている。なお、執行評議会の評議員がその長を務める委員会(省に相当)は、第69条によると、以下の通りである――1. 教育委員会、2. 経済委員会、3. 財務委員会、4. 地方自治体委員会、5. 環境員会、6. 法務委員会、7. 社会問題委員会、8. 勤労者委員会、9. 内務委員会、10. 戦没者退役軍人委員会、11. 女性の自由委員会、12. 青年スポーツ委員会、13. 保健委員会、14. 文化芸術文学委員会、15. 観光遺跡委員会。

(4) 連合型分権ではなく連邦型分権

このようにして見ると、北シリア民主連邦もロジャヴァと同じく岩崎[1998]におけるメイン・モデルの連合型分権としての制度を有するような印象を受ける。社会契約は、前文で「民族主義的、全体主義的、独裁的、中央集権的な政権の存在という不正に、さまざまな構成集団からなるシリア人民は苦しんできた」と表明し、中央集権に拒否反応を示している点で社会契約憲章と共通しているからである。

だが、社会契約憲章とは対象的に、社会契約は、各地域の諸人民議会の上位に、連邦議会に相当する民主諸人民大会(任期4年)を設置している。

民主諸人民大会に関して、第70条は「民主連合制に基づく機関にして、北シリア民主連邦に暮らすすべての諸人民を代表する友愛的共存とメソポタミア諸人民再興を表す統合の象徴」で、「北シリア民主連邦の傘下にあるすべての[宗教・宗派、民族・エスニック]集団の統合をめざす」組織と定めている。また、第71条は、その議員の40%が直接民主主義の原則によって各集団が選出し、60%は総選挙で選ばれるとし、ここでもレバノン型の宗派制度を採用している。

第71条および第72条によると、民主諸人民大会は、諸人民を代表する決定機関として、以下の権限を有する。

    • 議長府(大会を運営する共同議長2人と副議長5人から構成)の選出。
    • 公共政策の策定と社会生活の全分野における戦略目標の策定。
    • 戦争と和平の布告。
    • 地域の委員会(省)の監督。
    • 法務評議会、内務治安機関、広報出版評議会メンバーの承認。
    • 軍事評議会総司令部の任命、昇進、活動監督。
    • 社会契約を受け入れた地域の北シリア民主連邦への加入承認。
    • 予算の承認。
    • 恩赦の承認。

社会契約はまた、第4条において「カーミシュリー市は北シリア民主連邦およびその行政の中心である」と明記するとともに、第74条において、連邦政府に相当する連邦執行評議会を設置すると定めている。同条によると、評議員は原則、民主諸人民大会の議員から選ばれるが、各地域の諸人民議会の推薦と民主諸人民大会の承認をあれば、定数の20%まで議員以外の個人が務めることができる。

第74条はさらに、連邦執行評議会が、民主諸人民大会の決定を執行し、連邦の外交活動を行うとともに、各地域の委員会の活動を監督し、地域の委員会どうしの連携を調整することを任務とすると定めている。また、評議員は、地域の執行評議会と同じく、内閣に相当する委員会の長を勤める。第76条によると、委員会は以下の通りである――1. 渉外委員会、2. 防衛委員会、3. 教育養育委員会、4. 地方自治体委員会、5. 環境委員会、6. 法務委員会、7. 社会問題委員会、8. 勤労者委員会、9. 経済委員会、10. 財務委員会、11. 内務委員会、12. 戦没者退役軍人委員会、13. 女性の自由委員会、14. 青年スポーツ委員会、15. 保健委員会、16. 文化芸術文学委員会、17. 信条宗教委員会、18. 科学啓蒙委員会。

民主諸人民大会において特筆すべきは、それが外交権、交戦権、軍の統括などにかかる決定権を地域の諸人民議会と分有しつつ、第78条において、「SDFは北シリア民主連邦の武装部隊である…。その活動は民主的諸人民大会と防衛委員会によって監督される」と定め、防衛にかかる権限を専権事項としている点である。

社会契約は、北シリア民主連邦が民主的連合制だと規定している。だが、連邦政府・議会に相当する連邦執行評議会と民主諸人民大会を設置し、それらを各地域の執行評議会や諸人民議会の上位に位置づけている。それだけでなく、社会契約は連邦全体の基本法としての役割を果たしている。それゆえ、北シリア民主連邦は、ロジャヴァが岩崎[1998]が示したメイン・モデルの連合型分権であったのとは異なり、連邦型分権を経て、単一型分権に近い形態への移行を模索しつつ、サブ・モデルのⅠ型を志向していたと指摘できる。

Ⅴ おわりに

本論では、分権制・連邦制をめぐるシリア政府とPYDのヴィジョンが体系的に示されている法律や文書を詳しく見てきた。そして、シリア政府については、岩崎[1998]が示したメイン・モデルの単一型分権を維持しつつ、サブ・モデルのⅣ型に近い状態から、Ⅱ型、ないしはⅠ型への変容を模索していることを確認した。また、PYDについては、ロジャヴァにおいて連合型分権を確立し、北シリア民主連邦樹立に向けた動きのなかで、連邦型分権を経て単一型分権に移行し、そのなかでI型を志向していることを明らかにした。以上のことから、両者のヴィジョンは、シリア内戦の時間的経過のなかで類似性を増していったと結論づけることができる。

こうした類似化の流れに並行するかのように、シリア政府とPYDが主導するシリア民主評議会は、2018年半ば以降、PYD支配下にあるハサカ県のルマイラーン油田やラッカ県のタブカ・ダムの復旧・共同管理、ハサカ県産原油のシリア政府支配地域での精製、ハサカ市とカーミシュリー市(ハサカ県)での合同検問所の設置を通じた治安協力などで関係を強めた。同時に、首都ダマスカスやハサカ市で、地方分権制の拡充、あるいは連邦制の採用に向けた協議も行われた。

シリア政府とPYDの戦略的関係の強化、そして分権制・連邦制をめぐるヴィジョンの擦り合わせを通じて、多元主義が拡充すること――それがシリア内戦を恒久的に解決するうえでの理想ではある。だが、現実は甘くなく、短期的・中期的には、シリアという一つの国家のなかに、二つの制度が併存することになるだろう。宗派主義のプロパガンダが横行する中東の現状を踏まえるまでもなく、この現実はシリアにとって国家の弱体化を意味する。また、8年にわたる内戦を経ても、多党制に代表される制度的民主主義が確立・定着しなかった同国において、政府とPYDの双方が、事態打開のための方途として、他者の完全排除を前提とする「一方的解決」(al-ḥall al-aḥādī)に訴える余地を残し続ければ、二つの制度の統合、混乱の解消、そして国家再建の道は遠のくだけだろう。

(1) なお、シリアの分権制(地方自治)の通史的変遷については、宇野[2003]、Kardū[2018]、Nuḥaylī[2017]などを参照のこと。
(2) 包括的改革プログラムの詳細については、青山[2013: 187-191]を参照。
(3) 2011年政令第107号の全文はSANA, August 23, 2012を参照。
(4) 2012年憲法の全文はシリア・アラブ共和国ホームページ(2018年11月閲覧)を、日本語訳は「シリア・アラブの春顛末期」(2018年11月閲覧)を参照。
(5) 1973年憲法の全文はQadaya.net(2018年11月閲覧)を、日本語訳は公益財団法人日本国際問題研究所ホームページ(2018年11月閲覧)を参照(ただし日本語訳には誤訳が多い)。
(6) 2012年憲法の特徴については、青山[2013:190]を参照。
(7) 1973年憲法の地方自治体にかかる規定については、第129、130条を参照。
(8) 旧地方自治法は113条からなっていた。
(9) 同業組合の連合組織で、労働総連合、農民総連合、バアス前衛機構、革命青年連合、スポーツ総連合、シリア学生国民連合、女性連合、専門職業協会総連合、生活共同連合、アラブ作家連合、ジャーナリスト連合のこと。
(10) 改正地方自治法第1条によると、省庁、公社、企業のこと。
(11) 旧地方自治法第2条の規定は以下の通り。
a. 生産に従事する人民諸階級の手に責任を集中させ(tarkīz al-mas’ūlīya)、人民自身が指導にかかる任務を遂行する。これには、人民民主主義の原則をより広範な分野で実施することが求められる。諸事を人民の意志から発するものとし、人民が行政の適正な実施を常に監視し、単一のアラブ社会主義社会を実現するのに効率的に貢献することを保証する。
b. すべての階層における自治体に、経済、文化、福祉、そしてこの自治体の住民が直接関心を持つすべての事柄に対する責任を負わせる。これは、国家全般の計画、法律、そして国家が決定する規則の範囲内で行われ、社会が国家全体にかかる業務と地方の業務を同時に行うためのものとする。
c. これらの業務にかかる権限を地方当局に移管し、中央当局の業務を計画、法制化、最新技術の導入、監督、研修・教練・調整、実施監督、自治体には実施不可能、ないしは市民全般にかかわる重要性を有する大規模事業の実施、に限定する。
d. 社会が地元の枠組みのなかでの振興実現のための取り組みに真摯に貢献することを保証する。この取り組みはこうした建設的な貢献を行う能力を有する者によってなされる。
e. 自治体の業務を適切に遂行するのに資する権限を、自治体の意志に基づいて設置される委員会に付託し、そのために必要なすべての能力をその裁量のもとに置く。
(12) 旧地方自治法第1条第a項では2万人とされていた。
(13) 旧地方自治法第1条第b項では1万~2万人とされていた。
(14) 旧地方自治法第1条第e項では、農村自治体(al-waḥda al-rīfīya)という呼称が用いられ、その規模も人口5,000人以下の村群、農場群とされていた。
(15) 街区については改正地方自治法第83~85条において具体的な規定がなされている(旧地方自治法においては第54~55条)。
(16) 旧地方自治法では第1条第d項で500~1,000人規模とされ、第56条で法人格を有さないと規定されていた。
(17) 旧地方自治法第1条第f項では500人以下とされていた。
(18) 旧地方自治法第8、9条では、県議会は定数が30~100人、市議会が20~50人、町議会が10~25人とされ、地方自治大臣の提案に基づき、その数を定めると規定していた。また、第10条1では、地方自治体議会はA部門(労働者・農民部門)とB部門(その他の人民諸集団部門)から構成させ、前者を60%以上とすると規定していた。
(19) 旧地方自治法第18条第1項は、任期は2年と規定していた。
(20) 旧地方自治法第18条第2項は、県および県庁所在地執行局の定数を7~11人、県庁所在地以外の都市を5~9人、町を5~9人、村および農村自治体を3~7人と定めていた。
(21) 旧地方自治法の第68条でも、同様に規定されていた。
(22) 旧地方自治法第31、32、51条にも同様に規定されていた。
(23) クルド(人)問題の詳細については、青山[2005]を参照。
(24) 社会契約憲章は、第1条において「ジャズィーラ、コバネ、アフリーンの3地区における民政局の社会契約憲章である」と定めている。同憲章全文はジャズィーラ地区ホームページ(2018年11月閲覧)を参照。
(25) 契約全文はAwene Online(2018年11月閲覧)を参照。
(26) 2016年12月ハサカ県ルマイラーン市での第2回樹立評議会の会合で「ロジャヴァ」を削除することを決定した(Rudaw, December
29, 2016)。
(27) 16の委員会と局は以下の通り――内務委員会、養育教育委員会、地方行政委員会、経済農業委員会、財務委員会、文化芸術委員会、衛生環境委員会、社会問題委員会、女性委員会、防衛局、宗教教義局、渉外関係局、諮問局、情報局、石油地下資源局、開発計画局。
(28) このほかにも、アレッポ市シャイフ・マクスード地区がPYDの支配下に置かれていた。
(29) 2015年8月にラッカ県北部のタッル・アブヤド市一帯が4番目の地区となった。
(30) 行政区画法の全文はXendan.org, August 1, 2017を、日本語訳は「シリア・アラブの春顛末期」を参照。
(31) 選挙法の全文はAshanews, October 20, 2018を参照。
(32) また第70条でも「クルド人、アラブ人、シリア教徒、アッシリア教徒、アルメニア教徒、トルコマン人、チェルケス・チェチェン人、イスラーム教徒、キリスト教徒、ヤズィード派、アラウィー派、シーア派からなり、北シリア民主連邦の傘下にあるすべての集団の統合をめざす」と具体的に列記されている。

文献リスト

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――― [2012]『混迷するシリア:歴史と政治構造から読み解く』岩波書店。
――― [2013]「第10期シリア人民議会選挙」『国際情勢紀要』第83号、pp. 185-209。
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――― [2018]「【シリア】内戦ほぼ終息、ロシア主導で復興途上:欧米には抵抗も」Janet Jiji Press、8月22日。
岩崎美紀子[1998]『分権と連邦制』株式会社ぎょうせい。
宇野昌樹[2003]「シリアの地方行政と中央・地方関係」伊能武次・松本弘(編)『現代中東の国家と地方(Ⅱ)』(JIIA研究7)、公益財団法人日本国際問題研究所、pp. 83-108。
公益財団法人日本国際問題研究所ホームページ
「シリア・アラブの春顛末期:最新シリア情勢」
シリア・アラブ共和国人民議会ホームページ
西クルディスタン移行期民政局アフリーン地区ホームページ
西クルディスタン移行期民政局ジャズィーラ地区ホームページ
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