CMEPS-J Report No. 80(2024年10月31日作成)
木戸 皓平・青山 弘之
(出所:SANA, September 24, 2024)
シリアで2024年9月23日、ムハンマド・ガーズィー・ジャラーリー内閣が発足した。本稿では、同内閣発足に至る経緯、閣僚の経歴を紹介する。
第4期人民議会発足
バッシャール・アサド大統領は2024年7月29日、2024年政令第194号を施行し、同月15日に投票が行われた第4期人民議会選挙で当選し、議員となった250人の氏名を発表した(SANA, July 29, 2024)。
シリアでは、シリア内戦中に起草・施行された2012年憲法の第64条第1項において、「人民議会は、現議会の任期終了日、ないしは議会不在の場合は選挙結果発表から15日以内に、大統領が発する政令により召集される。大統領の政令が発せられない場合は、16日目に召集される」と規定されている。また新議会の発足に伴って生じる新内閣については、同憲法中に明文規定はないものの、第125条における「1. 内閣は以下の場合において辞職したものとする…b. 新人民議会が選出された場合」との条文によって、大統領による直接の任命を経て迅速に組閣されることが示唆されている(2012年憲法の全文については、「シリア・アラブの春顛末記:最新シリア情勢」所収の「備忘録4 シリア・アラブ共和国憲法の変遷(2012年憲法)」を参照)。
上記規定に則るかたちで、アサド大統領は憲法第64条の規定を遵守するかたちで、当選した全議員の氏名発表からちょうど2週間後にあたる、2024年8月12日に2024年政令第204号を施行し、同月21日に第4期人民議会を召集するよう命じた。
2024年8月21日に開幕した第4期人民議会の特別会では、2日目となる22日に、前期の議長を務めたハンムーダ・サッバーグ議員が無投票で議長に再選された。また、マーヒル・ヒジャーズ議員も無投票で副議長に選出されたほか、ムハンマド・サーイル・ジャウハリー議員とファウズィーヤ・マンナーア議員が書記に、アイマン・アフマド議員とジャマール・スライマーン議員が監査に選出された(SANA, August 22, 2024)。また8月25日には、アサド大統領が演説を行い、政府(つまりは内閣)の政策実施に際して、法律の制定、政策やプロジェクトの承認を通じた人民議会の監視機能の重要性などを強調した(SANA, August 25, 2024、全訳は「シリア・アラブの春顛末記」のアサド大統領が人民議会で演説:「現在の世界的な危機的状況とその影響は、我々に対して、悲しみや裏切りの痛みを超えて、修復可能なものを速やかに修復するための迅速な行動を促している」(2024年8月25日)を参照)。
組閣
新内閣の組閣については、前述の通り、旧内閣は人民議会選挙の実施に際して自動的に解散することが定められている。だが、同時に第125条第2項の「内閣は、新内閣を指名する法案が施行されるまで、暫定的に執務を継続する」との文言によって、新たな内閣が指名されるまで業務を継続することが正当化されている。
これを踏まえて、第3期人民議会における最後の内閣となったフサイン・アルヌース内閣は、①2024年8月12日に2024年政令第204号が施行され、②これにもとづいて同月21日に第4期人民議会が正式に招集されたのち、③正式に辞職する、とのプロセスを踏むこととなった。
アサド大統領は2024年9月13日、自らが党首(中央指導部書記長)を務める与党のバアス党の執行部(中央指導部)と新内閣を組閣するための首相指名について協議した。協議の内容については明らかにされていないが、翌日の9月14日、アサド大統領は、2024年政令第27号を施行し、ムハンマド・ガーズィー・ジャラーリーを首相に指名し、組閣を命じた(SANA, September 14, 2024)。
そして、2024年9月23日、アサド大統領は、2024年政令第28号を施行し、ジャラーリー内閣の閣僚を任命した(SANA, September 14, 2024)。
閣僚の経歴
ジャラーリー首相以下、閣僚の経歴は以下の通りである。
1. 首相 ムハンマド・ガーズィー・ジャラーリー(博士)
1969年ダマスカス県生まれ。
2008年5月から2014年8月まで通信技術副大臣を務め、2014年8月から2016年7月まで通信技術大臣を務める。
また2019年4月からアラブ品質協会の理事長を務め、2023年9月からはシリア私立大学(SPU)の准教授および学長を務める。
1992年にダマスカス大学土木工学部で学士号を取得したのち、1994年に同大学で土木工学の高等教育修了証を取得。
1997年にカイロのアイン・シャムス大学で土木工学の修士号を取得後、2000年に同大学の博士号(経済工学)を取得。
シリアの公共・民間セクターの多くのプロジェクトでコンサルタントあるいは専門家を務めたほか、シリアにおける多くの主要な工学プロジェクトに参加。
さらにシリアやアラブ諸国で経済工学、工学契約管理、工学審査、工学プロジェクト管理といった分野で多くのトレーニングコースを実施したほか、シリアやアラブ諸国で開催された会議やワークショップで多くの学術論文や研究成果を発表。
所属政党:バアス党中央委員会(中央指導部書記長指名)
2. 宗教関係大臣 ムハンマド・アブドゥッサッタール・サイイド
1958年タルトゥース県生まれ。
1983年にダマスカス大学で経済・商業学の学位を取得、1997年にイスラーム学大学で修士号を取得、2000年に同大学から集団イジュティハード現代法学における博士号を取得。
2007年にはアズハル大学からのタフスィール(クルアーン解釈)許可証に加え、カナダのオープンイスラーム文明大学において大思想家としての勲章・高評価を得た。これは国際的な学位である「国家博士号」に相当する。
1985年から2002年までタルトゥース県でワクフ(宗教関係)局長および同県ムフティーを務め、2002年には宗教関係大臣補佐(宗教問題担当)、2007年からは宗教関係大臣を務める。
これまで数多くの本や宗教学術書を著し、宗教学・社会学に関連する数多くの講義を行ってきた。さらに数多くのイスラーム会議に参加してきた。
既婚、3子の父。
所属政党:無所属
3. 行政開発担当国務大臣 サラーム・ムハンマド・サッファーフ
1979年ハマー県生まれ。
2010年にフランスで政治学博士号、それ以前にダマスカス大学経済学部で国際関係学修士号、国立行政研究所で行政学修士号を取得。
行政開発担当国務大臣補佐を務めたのち、2017年から行政開発担当国務大臣。
これまでに国内の多くの省庁の組織構造および内部システムの開発を監督したほか、能力開発、管理スキル強化、交渉、効果的なコミュニケーションといった分野においてトレーナー、講師を務める。また、アラビア語とフランス語で数々の学術系著作を出版している。
既婚、1女の母。
所属政党:不明
4. 工業大臣 ムハンマド・サーミル・アブドゥッラフマーン・ハリール
1977年ダマスカス県生まれ。
ダマスカス大学で国際経済関係の修士号を取得したのち、同大学で経済学博士号を取得。
2017年から2024年まで経済対外通商大臣、2020年から2024年まで首相府経済委員長、2017年から2024年まで世界銀行のシリア代表を務める。
これまでシリアと諸外国との経済協力を目的とした数々の合同委員会の委員長を務める。
2015年から経済対外通商大臣補佐を務め、それ以前には国際展示会・市場総合局の局長を務め、多くの経済機関(シリア投資局、地元生産・輸出支援開発局、中小企業開発局)の局長を歴任。
2016年から2017年までフリーゾーン公局、対外貿易公局局長。2013年からダマスカス大学行政開発高等研究所の教育部門メンバー。
既婚、2子の父。
所属政党:不明
5. 内務大臣 ムハンマド・ハーリド・ラフムーン
1957年イドリブ県生まれ。
政治安全保障分局局長を含む数々の軍事的地位を歴任。
2018年から内務大臣。
既婚、6子の父。
所属政党:バアス党
6. 観光大臣 ムハンマド・ラーミー・ラドワーン・マールティーニー
1970年アレッポ県生まれ。
アレッポ大学土木工学部のプロジェクト管理学科卒。
シリア観光会議所連盟副会長(設立部門)を務めたのち、2008年から2016年までシリア観光会議所連盟会長、その後観光大臣補佐に任命、2018年からは観光大臣を務める。
既婚、3子の父。
所属政党:不明
7. 国防大臣 アリー・マフムード・アッバース
1964年11月2日、ダマスカス郊外県バラダー渓谷のイフラ村生まれ。
1983年1月3日に軍事学院の装甲部隊専攻に入学し、1985年10月7日に少尉として卒業。以後昇進を重ね、2018年に少将、2022年4月30日に中将に昇進。
数々の指揮官職を歴任し、2021年3月18日に副参謀長に就任していた。
国内外で多くの基本・専門教練を受ける。主なものとして1997年のパキスタンでの指揮幕僚課程、2000年から2001年の英王立国防学研究所での国家防衛課程、2003年のスウェーデン王立大学での国際危機管理課程などがある。
これまで勇敢勲章(優秀部門)、忠誠勲章(優秀部門)のほか、戦闘訓練にかかわる様々なレベルの勲章を含む数々の勲章を受ける。
既婚、4子の父。
所属政党:バアス党中央委員会(中央指導部書記長選出)、中央指導部
8. 通信技術大臣 イヤード・ムハンマド・ハティーブ
1974年、ダマスカス県生まれ。
ダマスカス大学で通信工学の学士号を取得したのち、電子業務管理分野で修士号を取得。
ダマスカス・テレコム社の支社長、シリア・テレコム社の技術部長、シリア・テレコム社の代表取締役社長を含む複数の管理職を歴任。
2018年から通信技術大臣。
既婚、2男1女の父。
所属政党:不明
9. 法務大臣 アフマド・アワド・サイイド
1965年クナイトラ県生まれ。
1994年にダマスカス大学法学部を卒業したのち、第一審判事、財務審判事、ダマスカス郊外県法務監、ダマスカス県一等法務監、破毀院顧問を歴任。
2020年から法務大臣。
既婚、2男2女の父。
所属政党:不明
10. 運輸大臣 ズハイル・ムスタファー・ハズィーム
1963年ラタキア県生まれ。
1987年に旧ソビエト連邦のタリン大学で土木工学部を卒業。
1987年からラタキア県飲料水・衛生公団における実行・監督エンジニア、1996年からアレッポ県干拓公社における支局長および中央監督者、2008年から軍事住宅公団における副局長を務める。
2012年には軍事住宅公団において、副局長としての職務に加え、第7建設支部支部長に任命される。
2017年から同公社局長。 2020年から運輸大臣。
既婚、3子の父。
所属政党:不明
11. 文化大臣 ディヤーラー・バラカート
イタリアのローマ第3大学でローマ式石彫刻の博士号を取得したほか、ダマスカス大学における古典考古学学士号、および同大学からの考古学学士号を保有。
イタリア語、フランス語、英語に堪能。
多くのトレーニングコースを修了したのち、ヒムス考古学局の局長補佐、その後ヒムス考古学局発掘部門の部長。
バアス大学観光学部において、公開授業および高等教育を担当する講師を務める。
パルミラ国立博物館の会長。
2001年以来、多くの外国およびシリアの調査隊とともに、考古学分野における発掘およびファイル化の任務に加わる。
そのほか、2016年には公庫物・博物館総合局のチームメンバーとしてパルミラ国立博物館が受けた被害のファイリングにも携わる。
2021年から2024年まで国務大臣。
所属政党:シリア民族社会党
12. 石油鉱物資源大臣 フィラース・ハサン・カッドゥール
1962年ダマスカス郊外県生まれ。
機械工学(機械製造技術)で博士号を取得したのち、2002年にシリア石油会社の技術副部長、2004年にユーフラテス石油会社の技術支援部長、2008年にダイル・ザウル石油会社の会長、2015年にユーフラテス石油会社の会長兼最高経営責任者にそれぞれ就任。
2021年から2023年までシリア石油会社の会長を務め、2023年3月から石油鉱物資源大臣。
所属政党:バアス党
13. 国内通商消費者保護大臣 ルアイ・イマードッディーン・ムナッジド
1971年ダマスカス県生まれ。
ダマスカス大学で経済学の学士号を取得。首相府および経済委員会研究部門顧問、第10次5カ年計画評価・第11次5カ年計画準備チームにおける専門家、運輸省の諮問委員会メンバーを務め、官民共同参画局を創設。
官民協力法(PPP)検討委員会、公共産業部門再編法委員会のメンバーを務め、シリア競争監視団の創設メンバーとなる。石油派生品・エネルギーキャリア支援およびこれが各経済部門に与える影響の再構築委員会のメンバーとなり、レバント諸国(レバノン、ヨルダン、イラク、シリア)間の貿易円滑化計画チームの首席顧問を務める。
シリア輸出組合の創設者であり、多くの国際機関や地域内機関、非政府組織、民間組織と契約済みの主要な顧問としても活躍。
所属政党:バアス党
14. 国務大臣 アフマド・ムハンマド・ブースタジー
イドリブ県出身。
ダマスカス大学で法学の学士号を取得。
法務省所属の国選弁護士を10年間務めたのち、弁護士組合イドリブ支部所属の弁護士、弁護士組合イドリブ支部委員会のメンバーを務める。
シリア統一共産党中央委員会メンバー、同党政治部メンバー。イドリブ県議会議員に2期以上選出され、のちに人民議会議員として選出される。既婚、3男1女の父。
所属政党:シリア統一社会主義者党
(出所:内閣HP)
15. 教育大臣 ムハンマド・アーミル・マールディーニー
1959年ダマスカス県生まれ。
1988 年にドイツ・フンボルト大学で医薬品の品質管理を専門とする薬学博士号を取得したのち、アンダルス医科大学薬学部およびダマスカス大学薬学部の教授を務める。
その後アンダルス医科大学の学長、卓越・創造局の理事会メンバー、アーマール(NGO)の理事会メンバー、卓越・創造局のアカデミックプログラムの責任者を務める。その後、高等教育大臣、ダマスカス大学薬学部長、ダマスカス大学学長、高等教育大臣を歴任。もっとも優れた研究プロジェクトに対して贈られるバースィル賞を受賞しており、多くの学術系協会・団体に参加した経歴をもつほか、出版済みの数多くの学術系出版物、さらには様々な学術誌に掲載済みの約55点の査読付き論文の執筆者でもある。
所属政党:不明
16. 地方行政環境大臣 ルアイ・ハリータ
1967年生まれ。
1991年にダマスカス大学で土木工学の学士号を取得したのち、高等経営管理研究所 (HIBA) で経営管理の修士号(サービスマーケティングを専攻)を取得。
1995 年から技術者組合ダマスカス郊外県支部メンバー、技術者組合測量委員会メンバー、最高救援委員会メンバー、最高救援委員会傘下の人道対応計画実施プロジェクト管理のためのフォローアップ委員会委員長などを歴任。
ダマスカス郊外県の技術サービス部長、ザバダーニー市議会議長、クドサイヤー新郊外事務所所長を務めたほか、2009年から2021年まで地方行政環境大臣補佐、2021年からダルアー県知事を歴任。サービスや開発の問題に関連する数多くの委員会で委員長を務め、シリア国内外で多くの会議に参加。
所属政党:不明
17. 水資源大臣 ムウタッズ・カッターン
1966年ダマスカス郊外県生まれ。
1989年にダマスカス大学で土木工学の学士号を取得したのち、2018年に高等経営管理研究所 (HIBA)で経営管理の修士号を取得。
1999年から 2013年までダマスカス郊外県地方議会の議長、2015年から2023年まで地方行政環境大臣補佐、2023年から2024年までアドラー工業特化都市の責任者、2024年5月からダイル・ザウル県知事をそれぞれ歴任。
そのほか2017年から2020年までシリア映画公社の理事長、2016年から2020年まで建設開発公社の理事長、2015年から2017年まで保管・マーケティング公共機構の理事長を務める。さらにポスト戦争期におけるシリア国家開発プログラムの起草にかかわった地方・地域・環境開発チームの代表も務めた。
所属政党:不明
18. 外務在外居住者大臣 バッサーム・サッバーグ
1969年アレッポ県生まれ。
1990 年にダマスカス大学で政治学の学士号を取得したのち、1994年に外務在外居住者省に入省し外交官となる。
1995年から2000年まで在ワシントン・シリア大使館で二等書記官として勤務し、2001年から2006年まで、ニューヨークの国連シリア政府代表部で顧問を務める。
その後2010年から2020年にかけて、駐オーストリア・シリア大使、スロバキアおよびスロベニアでの非常駐大使、在ウィーン国連事務所でのシリア常駐代表、その他の国際機関(国際原子力機関、国連工業開発機関、国連麻薬犯罪事務所など)でのシリア常駐代表を歴任。
そのほか2013年から2020年までオランダ・ハーグ市で化学兵器禁止機関のシリア常任代表を務め、2020年か2023年までニューヨークで国連シリア常駐代表を務める。
2023年には外務在外居住者副大臣に任命され、2024年から外務在外居住者大臣。
所属政党:バアス党中央委員会(中央指導部書記長指名)
19. 高等教育科学研究大臣 バッサーム・ハサン
1958年生まれ。
1981年にティシュリーン大学で土木工学の学士号を取得したのち、1988 年にモスクワの科学研究・建設のための技術支援中央研究所で博士号を取得。1989年からティシュリーン大学の教育部門メンバー。
2002年から2008年まで技術的調査コンサルタント公社の沿岸部門支部長、2011年からティシュリーン大学土木工学部長、2018年から2024年まで同大学学長、ティシュリーン大学病院の関連業務に関する高等教育科学研究省所属顧問を歴任。工業プロジェクト管理、組織の能率改善、建設技術といった分野の研究者であり、これまで国内外の学術誌に35点以上の査読付き論文を発表。2018年から高等教育評議会メンバー。
所属政党:バアス党(ティシュリーン大学支部第1支局)
20. 財務大臣 リヤード・アブドゥッラウフ
1975年ダマスカス県生まれ。
1997年にダマスカス大学で経済学の学士号を取得したのち、2002年に同大学経済学部で会計学(監査を専攻)の修士号を取得。その後2005年にフランスで経営科学のDEA(diplôme d’études approfondies、修士号に相当)を取得し、2010年には同国で経営科学の博士号を取得。
2018年から財務大臣補佐官(歳入担当)、2021年から同補佐官(金融政策担当)、同補佐官(予算管理担当)を歴任したのち、2024年6月から財務大臣。
2023年から世界銀行でシリア副代表。ダマスカス大学経済学部の教育部門メンバー、通貨ローン評議会のメンバー、シリア証券取引所の委員会メンバー、および保険監督局の理事会メンバー監督。
これまで書籍、学術論文など多くの研究成果を発表しており、アラブ諸国内や世界中で多くの会議やイベントに参加。
所属政党:不明
21. 保健大臣 アフマド・ダミーリーヤ
1971年ダマスカス郊外県生まれ。1995 年にダマスカス大学で一般外科を専門として人体医学の学士号を取得し、腹腔鏡手術を専門としてシリア医療専門委員会からシリア一般外科委員会の資格を取得。
2007年から2009年までダマスカス郊外県保健局の病院部門責任者、2014年から2018年まで同病院の感染症・慢性疾患担当部門長、2018年から2021年まで保健省病院の病院長、2021年から保健大臣保健担当補佐官をそれぞれ務める。またダマスカス郊外県保健局の病院で一般外科および関節鏡手術の専門医として勤務。
2014年から2018年まで「国家結核・呼吸器疾患対策プログラム」の責任者、同時に「国家慢性疾患対策プログラム」の責任者を務め、2020年から2021年まで新型コロナウイルス対策国家委員会のメンバー、2018年から2021年までアサド大学病院理事会の理事を務めたほか、2021年からはシリア法医学総局の理事長。
これまで多数の医学書を英語からアラビア語に翻訳した実績を持つ。
所属政党:不明
22. 電力大臣 スィンジャール・トゥウマ
1969年、ヒムス県生まれ。
1992年にアレッポ大学で機械工学の学士号を取得したのち、2001年にルーマニア・ブカレストのポリテクニク大学でエネルギー工学の博士号を取得、2005年にはダマスカス国立行政学院にて高等学位も取得。2022年から電力省にて部門規制担当次官を務め、2023年には国立エネルギー研究センター所長および技術者協会の中央エネルギー委員会会長に就任。
2022年から国際再生可能エネルギー機関(IRENA)にシリア代表として参加し、2021年からはヨルダンのアラブ再生可能エネルギー機関執行委員会の代表を務める。
2009年以降、ダマスカス大学の機械電気工学部で再生可能エネルギー・システム経済学の講師を務めるほか、これまで多くの再生可能エネルギー・プロジェクトに関する研究を発表。数々のエネルギー関連国際会議への参加実績がある。
所属政党:不明
23. 農業・農業改革大臣 ファーイズ・ミクダード
1978年、ダマスカス県生まれ。
2009年にエジプトのカイロのアイン・シャムス大学で農業発展計画を専門とする農業経済学の博士号を取得し、
2005年には同大学で農業生産計画を専門とする農業経済学の修士号を取得。
2001年、ダマスカス大学農業工学部の農業経済学専攻を卒業。
農業科学研究総合機構で社会経済研究部長を務め、アラブ乾燥地・半乾燥地研究センター(ACSAD)で協力経済専門家として活動し、2021年から農業政策担当の農業・農業改革省次官を務め、大臣に任命された。
国内およびアラブ諸国の査読付き学術誌に多くの研究を発表し、農業分野における国内外のワークショップや会議に多数参加している。
所属政党:不明
24. 経済対外通商大臣 ムハンマド・ラビーウ・カルアジー
1981年、アレッポ県生まれ。
2012年にアレッポ大学経済学部で国際会計基準と金融・銀行危機を専門とする会計学の博士号を取得し、2008年には同大学で会計学の修士号を取得。2003年、アレッポ大学経済学部会計学科を卒業。
第2期および第3期の人民議会議員に選出される。
アレッポ大学経済学部の教員、アレッポ商工会議所の経済顧問、アレッポ工業会議所の諮問委員会委員を務める。また2011年から2016年までアレッポ大学の企画統計部長を務めた。
多くの学校や研究機関で講義を行い、ワークショップに参加し、複数の書籍の共著者として名を連ね、シリア国内外で多数の研究論文を発表している。
所属政党:バアス党(アレッポ支部)
25. 国務大臣 アフマド・ハドラ
1976年、アレッポ県生まれ。
2001年にアレッポ大学で法学の学位を取得。
アラブ民主統一党の政治局メンバーで、同党の大衆組織および専門職団体、法務担当部門の責任者を務めている。
第4期人民議会議員、弁護士組合理事、同組合傘下の青年弁護士委員会委員長であり、また、進歩国民戦線の第10回および第11回大会のメンバーでもある。
アレッポ国民文化メディア・フォーラムの会長を務め、各県で政治・思想に関する多くの講義を行った。
所属政党:アラブ民主連合党
人民議会議員(アレッポ市選挙区B部門、第4期(2024~2028年))
(出所:内閣HP)
26. 社会問題労働大臣 サマル・スィバーイー
1965年、ヒムス県生まれ。
1990年にバアス大学で土木工学の学位を取得。
2018年から2021年までヒムス県社会問題労働局長を務め、2021年からはシリア家族人口問題機構の長官を務め、現職に至る。
ヒムス市議会や県技術サービス局の技術者として働き、女性連合の技術事務所の所長も務めたほか、ヒムス工業会議所の理事も務めた。
また、アラブ地域における武力紛争下の女性保護緊急委員会のメンバー、シリア代表としてアラブ女性機構の執行理事、アラブ労働機関の女性労働委員会のメンバー、シリア持続可能な開発国家委員会のメンバー、シリア科学研究倫理委員会のメンバーでもある。
所属政党:不明
27. 公共事業住宅大臣 ハムザ・アリー
1967年生まれ。
1990年にバアス大学で土木工学の学位を取得し、1997年にカイロ大学でプロジェクト管理の博士号を取得。
バアス大学土木工学部の技術管理学科の学科長を務め、同学部の副学部長や高等教育部門開発プログラムのメンバーとしても活動し、多数の書籍や科学論文を発表している。
所属政党:不明
28. 情報大臣 ズィヤード・グスン
1973年、ダマスカス郊外県生まれ。
1995年にダマスカス大学でジャーナリズム学の学位を取得。
1998年から2008年末まで『ティシュリーン』紙で主任編集者および経済部長を務め、2011年から2012年まで同紙の編集長を務める。また、2011年夏にシリアで初の包括的なメディア法を策定するために設置されたシリア国民委員会のメンバーも務めた。
2018年から2020年までワフダ報道印刷出版配布財団のゼネラル・マネージャーを務め、2021年からはシリア情報科学協会が発行する「ワタン・ブログ」プロジェクトのディレクターを務めている。
10年前に民間セクターによる出版が認可されて以降、シリアで創刊された主な民間経済誌の設立や編集に貢献し、国内およびアラブ世界の新聞やオンライン・メディアで数多くの政治・経済に関する調査、記事、インタビューを発表している。
所属政党:バアス党中央委員会(中央指導部書記長指名)
新内閣の特徴
ジャラーリー内閣の顔ぶれを見ると、閣僚28名のうち、ジャラーリー首相、ブスタジー国務大臣、ハリータ地方行政環境大臣、カッターン水資源大臣、サッバーグ外務在外居住者大臣、ハサン高等教育科学研究大臣、アブドゥッラウフ財務大臣、ダミーリーヤ保健大臣、トゥウマ電力大臣、ミクダード農業・農業改革大臣、カルアジー経済対外通商大臣、ハドラ国務大臣、スィバーイー社会問題労働大臣、アリー公共事業住宅大臣、グスン情報大臣の15名が初入閣である。また、ハリール工業大臣、バラカート文化大臣、ムナッジド国内通商消費者保護大臣の3名が、それぞれ経済対外通商大臣、国務大臣、社会問題労働大臣より異動となっている。留任は、サイイド宗教関係大臣、サッファーフ行政開発担当国務大臣、ラフムーン内務大臣、マールティーニー観光大臣、アッバース国防大臣、ハティーブ通信技術大臣、サイイド法務大臣、ハズィーム運輸大臣、カッドゥール石油鉱物資源大臣、マールディーニー教育大臣の10名である。
また男性25名、女性が3名である。
所属政党については、バアス党が10名、シリア民族社会党が1名、シリア統一共産党が1名、アラブ民主連合党が1名、無所属・不明が15名である。
第1回閣議
2024年9月23日に任命されたジャラーリー首相以下28人の閣僚は、翌24日に首都ダマスカスの人民宮殿で、アサド大統領を前にして就任宣誓を行った(SANA, September 24, 2024)。
就任式の後、アサド大統領はジャラーリー内閣の第1回閣議を召集し、自ら議長を務め、閣僚らに対して今後の活動を支持する演説を行った。
アサド大統領の演説内容は以下の通りである。
新内閣がシリアの市民の大きな期待に応えるものであることを願っている。内閣改造や改編はそれ自体が目的ではなく、手段であり、刷新、発展、そして国全体の状況を改善するための新たな機会である。社会全体で感じられるこれらの期待が、個々人に基づいて作られるのは自然なことである。これは当然の状況である。だが、どの新内閣であれ、最初に直面する課題は、個々人に基づいて作られる期待を、国家機関に基づいて作られる期待へと変えることである。それは、政策を通じて、内閣内、内閣のチームのメンバー間、政府機関、国家機関全般、それ以外の機関と人民諸組織などの民間機関や社会のあらゆる階層との効果的な対話を通じて生まれる実りある計画によって、変えられていく。
諸君らは今日、非常に困難な状況下で実務を始めることになるが、すべての公共機関にとって最初の目標とは、市民の負担を軽減することである。しかし、政府自体の負担を軽減せずに、この仕事を進めることができるだろうか。異なるレベルや機関で内閣のチームの活動を円滑化することなく、それは可能だろうか。答えは否だ。私が意図していることは何か、またどのようにすべきか。まず、いかなる内閣であれ、道を切り開くための最初のステップは、期待の水準を現実以上に引き上げないことであり、実現不可能な約束をしないことである。
こうした期待が高まれば、結果としてさらなる失望が生まれる。責任者、そして市民は、内閣のチームや各部門の責任者が在任期間中に約束を果たすために努力しつつもそれらを達成できないまま、何年も過ごすことになる。結果はどうなるか。結果は、責任者に対するさらなる批判と、厳しい批判である。この批判は、しばしば客観的でないと非難され、そう描かれる。なぜなら、これらの約束が果たせない状況があったと考えられるからである。しかし、実際に客観的でないのは、提示されていた約束なのである。
市民に対して、何が可能で何が不可能かを判断するように求めることはできない。市民には基準があり、その基準とは我々が発表する閣議声明、声明、あらゆる形で発表される政策のなかで我々が発表する内容である。市民の基準は、我々が発言し、約束する内容である。
つまり、これらの困難な状況下で政府業務を円滑に進めるための最初の道は、夢物語の内閣ではなく、現実の内閣であることだ。市民も、諸君らも、誰も、蜃気楼など欲してはいない。このことは、閣議声明に反映されることになる。まずは、透明性があり、現実的で、政策や計画を通じて現実に基づいた閣議声明を通じて反映されることになる。要するに、それは理想の声明ではなく可能な声明なのである。
公的な業務において、可能なことと理想を混同することがしばしばある。我々には多くの希望があり、我々のなかの誰しもが、多くの希望と夢を抱いている。だが、我々は、こうした希望を政策や計画のなかに持ち込むことはできない。なぜなら、そこに希望ではなく、事実と現実が存在するだけだからである。
私が語っている現実の「いろは」とは、現行のシステム、特に行政と経済のシステム仕組みがこのまま続くことは不可能であるということだ。これが根本的なテーマである。
今日、世界中の何百もの国を見渡しても、我々のシステムに似たシステムを採用している国は、おそらく片手の指で数える程度しかない。もし訊かれたとしても、どの国がこの方向を採用しているのかを思い浮かべることはできない。これは単純に言えば、我々が他とは異なる方向に進んでいるということである。世界中のほとんど、あるいは大多数の国々が間違った方向に進んでいて、我々だけが正しい方向に進んでいることなどあり得ない。結果がそのことを示している。私は戦争の結果全般について話しているのではなく、何十年にもわたる行政と経済のシステムの結果について話している。
この遅れをもたらした原因は今に始まったものではなく、戦争の前、さらにはそれ以前から存在していた古い問題である。シリア社会全体、そして祖国において、システム自体は良いもので、問題はパフォーマンスや運営、個々人にあるという一般的な認識があった。そのため、我々はシステムを変えるのではなく、人材を入れ替えるだけで期待を寄せてしまっていた。
この変革に対する古くからの拒絶は、一つの結果をもたらした。それは、歴代の内閣や我々のような国の責任者が、変革の政策ではなく、「つぎはぎの政策」を取ってきたということである。もしぼろぼろの布を持ってきて、その場しのぎにそれらをつぎはぎしても、結局のところ完全に摩耗する段階に至るだろう。だから、つぎはぎの政策はもはや役に立たない。改革と変革が遅れるたびに、我々はさらに大きな代償を払うことになり、いずれは改革が不可能なほどに完全崩壊の段階に陥るだろう。それゆえに、時間は我々すべてにとって非常に重要である。
この文脈において、我々は政策、すなわち全体的な政策を明確に説明しなければならない。部門毎の政策、各省の政策も説明しなければならない。また、これらの政策に至る客観的な理由や動機、さらには政策を推進する際の障害や課題も説明する必要がある。時には、これらの政策は、必ずしも我々の信念に基づくものではなく、強いられることもあれば、我々が身を置く状況下で作り出されることもある。我々は、市民の一般的な状況や、さまざまな苦難のなかで生じることが予想されるプラスやマイナスの影響について説明し、多くの問題に対する解決の可能性についても説明する必要がある。その解決策が完全であるか、部分的であるか、あるいは解決不可能な問題が存在するのかどうかについても説明しなければならない。
議論すべきテーマについて言うと、それは我々が現在、過渡期にあるがゆえに多いのだが、これらの政策がもたらすと予想される結果や付加価値についても説明しなければならない。同時に、もしこれらの政策を採用しなかった場合に支払うことになる代償についても説明する必要がある。この問題に関しては、社会や各機関のそれぞれの部門が、自らの決定に対して責任を負うべきである。これは政策に関する問題である。
むろん、政策は重要だが、それに同じだけ重要なのが、閣議や国家機関全般における意思決定の仕組みである。全般的な政策が適切であって、特定の部門においても省の政策が適切だと見える場合もしばしばある。だが、現実に目を向けると、実施のありようが政策にふさわしくないことを目にする。すぐに実施の不備が原因だと考えてしまうが、実際はそうではなく、問題はまったく別のところにある。その原因は、政策間、すなわち部門単位の政策を介在する環にある。ほとんどの問題や課題は、複数の省に同時にかかわるものであるが、ここに部門別の政策の弱点があり、我々はそれに苦しんでいる。ここに、大きな弱点がある。我々は、どのようにして部門別政策を計画し、適切な実施手段を設け、その政策を導くかを考えなければならない。部門別のチームを編成することが必要だ。なぜなら、そこに我々の弱点が潜んでいるからである。
内閣の実務と意思決定に関わるもう一つの側面は、非論理的で複雑に絡み合った行政構造が各機関の論理にそぐわないという点だ。我々には多くの構造が存在している。委員会、高等評議会、その他の評議会などだ。これらのどれが意思決定に関与しているのか、内閣の意思決定にどのように関与しているのかが不明瞭なのである。その一部は、憲法に反する可能性すらある。計画策定に関わる機関もあれば、顧問的な役割を果たすものもある。だが、なぜこうした違いがあるのかが明確にされていない。同様に、各省においても、権限の重複が見られる。また、職務の二重化や、何十年にもわたって施行されてきた法律によって生じているその他の問題も見られる。
この分担や部門別政策に関して、問いが出される。我々がよく耳にするのが、担当者間の調整がないという言葉や意見である。しかし、実際の麻痺の原因は、まさにここ、とくに部門別の政策にある。なぜなら、公的機関における責任者間の関係は、スポーツ・チームや舞台上の演技チームとは異なり、個々の才能や能力に基づく調整やハーモニーに依存するものではないからである。
機関間の調整は政策を通じて行われるべきである。政策が調整されていない場合、チームが調整することは不可能である。前述したさまざまな政策や仕組みから、明確な作業の仕組みを作り出すことも不可能だ。総じて、ここで脆弱な仕組みと、存在しない、あるいは脆弱な部門別政策との間に結びつきが生じる。
内閣の実務や意思決定全般にかかわる第3の点は、概念の歪みである。この点を説明するために、数々の例のなかから一つを挙げたい。ある機関――ここでは経済機関としよう――、この機関のために法律を施行したとしよう。全世界の論理に従うと、経済機関には一つの意味しかない。それは利益を上げるために設立された機関を意味する。損失を出すために設立された経済機関など存在しない。これこそが論理である。だが、我々は法律に則って経済機関として設立しているにもかかわらず、我々の政策によって、その機関が損失を出してしまっている。こうした矛盾はなぜ生じるのか。その機関は、本当に経済機関なのか、それともサービス機関、それともそれ以外の機関に変わってしまったのか。
概念と政策が別々の方向に向かうことは、我々においてはあり得ない。すべての業務において歪みを生じさせるからだ。こうした概念、さらにはその他多くの概念のゆがみがあれば、内閣のチームが安定した政策を構築することはできない。なぜなら、我々は何かを構築しながら、逆のことを実行しようとしているからである。これは正しいやり方ではない。
確かに、シリアの能力は限られている。それは戦争が原因ではない。この祖国にある資源、面積、さまざまな状況により、シリアの能力は常に限られている。もちろん、戦争によってこれらの資源はさらに限られたものとなった。だが、私は常に言っていることがある。それは、我々の問題は、資源の管理にあるということである。管理が悪ければ、すべての部門において管理不全が生じる。そのなかには、物的資源であれ、人的資源であれ、資源の管理も含まれている。
我々には、一部の人々が言うところのシリアへのインフィターフ(門戸開放)に過度な期待を寄せることはできない。政治的性格を有するインフィターフは、シリアの経済を支えることはない。これは政治状況や制裁、または西側の制裁への恐怖が理由ではない。まったくそうではない。戦前の時期を振り返ってみても、シリアにおける外国投資の規模は非常に限られていた。つまり、最良の状況においても、シリア経済は外国投資に依存していなかった。この点に関しては、ある種の幻想が生じてしまっている。 我々は第1に、自分自身に依存する必要がある。第2に、資源を効果的に管理できる政策を策定しなければならない。そうすれば、結果が見えてくるだろう。だから、私は、問題が必ずしも資源の不足ではなく、社会の各部門や市民への資源の配分の悪さにあるとしばしば述べているのである。
ここで私が本質的なテーマだと見ているいくつかの基本的な点を挙げたい。特定の省庁について話しているわけではないが、例えば、労働者基本法は1980年代半ば、約40年前に制定された。この法律の本質は、国家で働くすべての人々を、わずかな違いこそあれ、労働者として扱うことだった。おそらく、この法律は当時は、時代に適していたかもしれないが、今日の世界は大きく変わった。部門ごとに大きく異なった特徴を持つようになり、ほとんどの面で似た点はなくなった。銀行部門は建設部門とは異なり、工業部門とも、サービス部門とも、行政部門とも異なっている。
国家を、個々の部門に特化した複数の法律ではなく、一つの法律で発展させることができるだろうか。こうした一つの法律をもって、我々は、今なお残っている優秀な人材や有能な人材を維持しようとする国の力がないままに、国家の発展について話すことができるだろうか。そのうえで、国家は、この法律によって、失われた人材を取り戻し、優れた人材を引き寄せることができるだろうか。私は、こうした考え方は正しくなく、実現不可能だと考えている。
技術面は非常に重要な側面である。シリアでは1年以上前から、取り組みは始まっている。実際には、数年前から、さまざまな段階、そしてさまざまなペースで、政府業務の自動化、いわゆるデジタル化が進んでいる。これは、透明性の向上、汚職撲滅、市民の利便性向上、そして政府の業務効率の向上において非常に重要である。これが今日、基本的なことだと考えている。しかし、情報技術と情報部門には、政策の枠組みの中で別の問題も考慮しなければならない。それは、この部門を投資部門として捉えることである。我々はこれまで、情報技術を投資部門としてしか考えてこなかった。だが、特に、この部門における原料とは、主に才能ある頭脳であり、それ以外の基本材を必要としない。そのため、この部門に制裁を科すことはできず、私の考えでは、今後の世代にとっての未来そのものである。
シリアでは、地方分権について多く語られてきた。権限の移譲に関する研究や議論も行われてきた。だが、私はこの概念、つまり権限移譲自体が誤った概念だと考えている。なぜなら、それは部分的で表面的だからである。権限移譲は、地方分権の最終段階に過ぎない。
地方分権は、地方自治体や各県の部局に単に権限を分配することから始まるものではない。まずは、これらの部局や地方行政機関を発展させることから始めなければならない。なぜなら、我々が、中央から遠い周縁やそれ以外の地域に、手続きや政策に問題がある状態で権限を委譲すれば、この問題を他の地域にも拡散させることになる。そして、中央に存在しているがゆえに、中央で対処することが容易だった問題が、分配され分散されることで、対処が困難になってしまう。問題のなかった手続きを管理がなされていない場所に移すことで、我々はその場所にも問題を創り出してしまう。それゆえに、地方分権の概念はまず、各機関の発展へと改め、そのうえで権限移譲という発想に進まなければならない。
行政改革も、特定の省の政策ではなく、国家の政策として、過去7年間において、我々は一定のステップを踏んできた。だが、この問題が新しく、我々の経験が限られているため、当然ながら、欠陥に溢れている。どのようなステップかはともかく、我々は一段一段移行してきた。その際、私は、あらゆる部門におけるいかなる業務においても、段階から段階へと移行するものであると考えてきた。これは、欠陥は往々にして多く存在し、おそらくは長所よりも多いということを意味している。なぜなら、考えと実施が一致しないことが多いからである。
それゆえに、我々は、このプロジェクトを根本から見直さなければならない。7年を経て、どこにいて、どこに到達したのか、どのような障害があったのか、どのような誤りがあったのか、どのような欠点があったのか、どの場所を変更すべきか。柔軟性を与えるプロジェクトになるべきところを、しばしば制約を生み、一部地域では官僚的な手続きに変わってしまった行政プロジェクトの改編が必要な部分はどこか。これは、計画にはないが、実施に際して行われることである。問題はどこにあるのか。我々はプロジェクトを政府レベルで見直し、どこで改善と修正が可能かの提案と調査を行うことになる。
運命と状況ゆえに、諸君らは今日、レバノンの兄弟たちに対するシオニストの激しい攻撃の中で実務を始めることになった。言葉では表現し難い、再現のない犯罪である。だが、実務開始から最初の数時間が経ったが、今この時間、そしてこれからの数日間、この問題は、そのほかのいかなる問題よりも優先されるべき基本的な問題としなければならない。我々は、いかにして、全分野にわたって、全力で、例外なく、そして躊躇せず、レバノンの兄弟たちに寄り添うことができるのか、それが基本的な問題である(「シリア・アラブの春顛末記」の「ジャラーリー内閣の閣僚が人民宮殿でアサド大統領に対して就任宣誓を行う:アサド大統領はジャラーリー内閣の第1回閣議を召集し、自ら議長を務め、閣僚らに対して今後の活動を支持する演説を行う(2024年9月24日)」より転載)。