レバノン大統領選出:ジョゼフ・アウン新大統領の就任までの過程とその後の展望

CMEPS-J Report No. 84(2025年1月23日作成)

大森 耀太

レバノンの国民議会は2025年1月9日(木曜日)、レバノン軍のジョゼフ・アウン司令官を大統領に選出した。

この投票が行われるまでに、レバノンが位置する東アラブ地域では、イスラエルによる爆撃と地上侵攻、ページャーを用いた同時爆破攻撃、ヒズブッラーのナスルッラー前書記長ら幹部の殺害を経た停戦合意、シリアのバッシャール・アサド政権の崩壊など、様々な変化が起こった。今回の新大統領選出はこうした変化の結果としてもたらされた進展と見ることができる。

こうした政治変動を踏まえ、本稿では、国民議会がジョゼフ・アウン司令官(中将)を新大統領に選出するに至った過程を検討し、国民議会での投票を詳解する。そのうえで、ジョゼフ・アウン新大統領がどのような政策を重要視し、今後どのような政策を講じると予想されるかを明らかにするため、国民議会での演説を全訳し、解説する。

1. 大統領選出までの経緯

2022年10月にミシェル・アウン大統領の任期が終了してから、国民議会では12回にわたり大統領選出投票が行われたが、いずれも選出に必要な定員数(128議席)の3分の2(86票)の賛成を得ることができずにいた。この間、ナジーブ・ミーカーティー暫定首相が大統領職を代行していた。

12回目の投票までは3人の候補者がいた。1人目は、ジョゼフ・アウン司令官であり、サウジアラビア、カタール、アメリカ、フランスをはじめとする諸外国と、マロン派によって構成されるレバノン軍団およびレバノン・カターイブ党、またムスタクバル潮流などのスンナ派諸党をはじめとする、親欧米・サウジ勢力が推していた。また2人目はヒズブッラーと連携するマラダ潮流代表のスライマーン・フランジーヤ元内務地方行政大臣で、シーア派のヒズブッラーとアマル運動が推しており、かつて同氏はシリアのバッシャール・アサド大統領とも蜜月の仲であった。そして3人目はジハード・アズウール元財務大臣で、マロン派の自由国民潮流が推していた。国民議会における各政党(ブロック(会派))の議席数は以下の表の通りだが、候補者が乱立するなか、いずれの候補者も3分の2以上の賛成票を得ることができなかったため、大統領不在の状態が続いた。

表 第20期レバノン国民議会:政党/ブロック別議席数

ブロック(会派) 参加組織 議席数
強いレバノン 自由国民潮流
タシュナーク
独立運動
無所属
17
3
2
1
23
抵抗への忠誠 ヒズブッラー
無所属
15
1
16
開発解放 アマル運動
無所属
15
2
17
ムスタクバル ムスタクバル潮流
尊厳運動
イスラーム集団(al-Jamaa-al-Islamiya)
7
2
1
10
民主会合 進歩社会主義党 8
レバノン軍団 レバノン軍団
国民自由党
18
1
19
マラダ潮流 マラダ運動
無所属
2
2
4
レバノン・カターイブ党 4
アフバーシュ 2
国民対話 1
ナセル人民機構 1
レバノン統一党 1
レバノン共産党 1
無所属連合 21

(出所) IPU Parline[2022]UNDP[2022]をもとに筆者作成。

ガザ地区でのハマースなどパレスチナ諸派とイスラエル軍の戦闘を受けるかたちで、2023年10月7日から交戦を続けていたイスラエルとヒズブッラーの間で2024年11月27日停戦合意が結ばれると、大統領選出に向けた動きが加速した。そして、2025年1月7日にナビーフ・ビッリー国民議会議長は、2025年1月9日に大統領選出のための投票(13回目)を行うことを決定した。

13回目の投票に際しても、第1回投票ではヒズブッラーやアマル運動がフランジーヤ元内務地方行政大臣を推したため、ジョゼフ・アウン司令官は71票(自由国民潮流を除く強いレバノン・ブロック:5、ムスタクバル・ブロック:10、民主会合ブロック:8、レバノン軍団19、レバノン・カターイブ党:4、アフバーシュ:2、国民対話:1、レバノン統一:1、無所属連合:21)しか獲得できず、第2回投票が行われることとなった。しかし、第2回投票が行われるにあたって、フランジーヤ元内務地方行政大臣が立候補を辞退し、ヒズブッラーが主導する抵抗への忠誠ブロックやアマル運動が主導する開発解放ブロック、そしてマラダ潮流ブロックは、支持候補者をジョゼフ・アウン司令官に鞍替えした。一方、自由国民潮流はジョゼフ・アウン司令官の選出を拒否し続けた。だが、抵抗への忠誠ブロック、開発解放ブロック、マラダ潮流ブロックの支持により、ジョゼフ・アウン司令官は国民議会での第2回投票で、99票を獲得し、大統領に選出されることとなった。

2. 国民議会での投票

大統領の選出に関して、レバノン憲法は「大統領は国民議会による秘密投票により、第1回投票で3分の2以上の多数で選出される。その後の投票では過半数によって選出される」(第49条[1929年5月8日修正条項])と規定している。憲法第49条ではさらに、軍司令官などの第一級公務員は退職後2年以上経過しない限り、大統領に選出されないと規定されている。そのため今回の投票では、ジョゼフ・アウン司令官の大統領選出は憲法49条に抵触することになる。

しかし、ジョゼフ・アウン司令官を支持する勢力は、憲法第74条を根拠にとして、その選出が憲法上問題ないことを主張した。

憲法第74条は「大統領職が、大統領の死亡、辞任、またはその他の理由により空席となった場合、後任の選出のため、議会は直ちに法律の規定に基づき招集される。大統領職の空席が、議会が解散時に生じた場合、選挙機関は遅滞なく招集され、選挙手続の完了後、議会は法律の規定に基づき再び招集されるものとする」と規定している。この条文は、2007年のエミール・ラッフード元大統領の退任後空白となっていた大統領職に、2008年5月レバノン軍のミシェル・スライマーン司令官が選出された際に、大統領職の空席時には、第一級公務員の就任にかかる憲法49条の規定が適用されないと解釈されていた。

今回の大統領選出においても、2022年のミシェル・アウン前大統領の退任以降同職が空席だったため、この解釈が適用可能であると考えられ、ジョゼフ・アウン司令官は、他の候補者と同様、第1回投票で総議席の3分の2、もしくは第2回投票で過半数の票を得れば大統領に選出されるとされた。
そして第1回投票では得票数が71票で当選しなかったものの、第2回投票で99票を獲得し、ジョゼフ・アウン司令官が新大統領に選出された。

3. ジョゼフ・アウン大統領による議会演説の邦訳

本節では、ジョセフ・アウン大統領による就任後の議会演説の全文を邦訳したのち、彼がどのような政策を重要視し、今後どのような政策を講じると予想されるかを検討する。なお、説明の容易化のため、訳文には段落番号を振った。

国会議長閣下
首相閣下
議員および閣僚各位
外交団関係者各位
レバノン人各位
参加者各位

私は、議員の皆様によって、私が持つ中でもっとも偉大な称号であり、もっとも重い責任である、レバノン共和国の大統領に選出していただいたことを光栄に思う。これにより私は、同盟関係がこじれ、政権が崩壊し、さらには国境が変わるかもしれないという中東の地殻変動のなかで、大レバノン建国100周年後初の大統領になった。(1)

数々の戦争や衝突、侵略や謀略、そして自分たちの危機管理における不手際にもかかわらず、レバノンはレバノンであり続けた。なぜならレバノンは、歴史のなかで築かれ、そこでは宗教が共存し、人々が一つであるからであり、また様々な階層や宗派の存在にもかかわらず、我々のアイデンティティが、「レバノン人らしさ」であるからだ。我々は、生活での基本的な息抜きとしての独創性を愛しており、自由な空間としての領土を重要視している。我々の特徴は、勇気と適応力である。我々は夢を創り、夢に生きる。またどんなに互いに違おうとも、過酷な時は団結する。もし誰か1人が崩れたら、全員が崩れてしまうからだ。(2)

レバノン人民よ、真実の時が来た。(3)

我々は統治上の危機にある。そのため、安全保障および国境保護のビジョンや経済政策、社会福祉計画、民主主義の概念、多数決の原理と少数派の権利、レバノンの対外的印象と在外邦人との関係、説明責任と監視の哲学、国家の中央集権化と不均衡な開発、硬直化した戦争、貧困や人的資源の不足および砂漠化対策といったこれらの分野において、政治的改革が必要とされる。(4)

これは、統治および統治者らの問題であり、制度が運用されていないか、誤って運用、説明および起草されているという問題なのだ。(5)

そのため私は、全世界が聞こえるように声を大にして、すべてのレバノン人に次のことを誓う。(6)

今日、レバノンの歴史は新たな段階に入る。私は、貴議会およびレバノン人民に対し、レバノン社会のために尽力すること、また国民契約や国民和解憲章(ターイフ合意)の履行を率先して行い、国家の最大利益に資する形で、これらの履行にコミットする。そしてレバノンという存在にとって重要な個人と集団の自由の神聖さを保護するため、諸機関の間における公正な仲裁者として、大統領権限を最大限に行使する。また法による支配と政府が保証すべきこの自由は、権利を保護し、説明責任を伴い、すべての国民を平等な存在にする。というもの、我々が国家建設を望むのなら、すべての人が法と司法の下に平等でなければならないのだ。これからは、同じ屋根の下で差別なく、マフィアや治安攪乱分子がおらず、密輸や公金横領、麻薬売買、司法や警察の介入を許さず、犯罪者や汚職者への保護や恩赦も行わない。正義こそすべてであり、すべての国民の唯一の武器である。そして以下が私の公約だ。(7)

私は次期内閣とともに新法計画の承認に着手する。これは、その公正さや運用および資金面での司法の独立のため、また検察の職務改善および公正や適性に基づいて司法制度を形成するためである。また自由と権利を保障し、投資を呼び込み、汚職と闘う形で、司法検査機関の設立や各裁判所の制度の簡略化、刑務所の改善や、判決までの迅速化を行うためである。(8)

合憲性をもとに立憲制度に反するすべての法律を告訴すること、そして権力の分立を尊重し、それを誠実かつ客観的に監視するという自分の役割を全うする。これらは、公益に資さない法律や法令に対する反応として、国会や閣議に再検討を要請できるという大統領の権利を通じて行われる。(9)

私は、高官におけるパートナー(ライバルではない)である首相を任命するために、早急に議会を開くよう呼びかける。また我々は積極的に公的機関を維持し、縁故主義よりも適性、階層主義よりも愛国主義、官僚主義よりも能力主義、責任からの逃亡よりも辞任、裏での駆け引きよりも透明性、過去の紛争の禍根に囚われることよりも世界的な発展を伴う現代化を優先することを目的に、我々の権限を行使する。(10)

私は国会や閣議とともに、行政機構を再構築し、行政及び公的機関の第一級職でローテーションを行い、組織化された機関を設立する。これにより、国家や職員らは威厳を取り戻すとともに、彼らの尊厳を保ち、エリート人材を引き寄せることができる。これは、「非独占的かつ分権主義的で、単純で効率的かつ中立的な最新の電子行政の確立」、「資産管理の改善」「民間セクターに対する偏見の撤廃」、「寡占の禁止」、「権利保有者と監査人に対する記録の公開」、「競争の促進」、「消費者の保護」、「浪費の防止」、「監視機関の活性化」、「計画と予算編成および公的債務管理の改善」のためである。なぜなら、レバノン人の尊厳を保ち、経済を再生し、雇用機会を創出するための基本条件として、国民に最良の価格で良質なサービスを提供できない行政に価値はないからだ。(11)

私は軍の最高司令官として、また国防最高評議会の議長としての自分の役割を全うし、この2つの役割を通じて、国家による武力の独占権確立に乗り出す。国家は、軍が「国境の維持」、「南部国境の確定および東部・北部・海上における国境の画定への貢献」、「密輸の阻止」、「テロとの戦い」、「レバノン領土の統一」、「国際的な決議の履行」、「停戦合意の遵守」、「レバノン領に対するイスラエルの攻撃の阻止」に着手できるよう、これに投資する。軍には交戦規定や防衛理念があり、憲法に則して人民を保護し、戦争に乗り出すのだ。(12)

私は、治安の維持および法の適用のための基本的な手段として、職種のいかんにかかわらず、治安機関の活動の強化に尽力する。(13)

私は、国家安全保障戦略の一環として、外交レベル、経済レベル、軍事レベルでの包括的な防衛政策に関する協議を呼びかける。これにより、(繰り返しにはなるが)レバノン国家が、イスラエルによる占領を排除し、レバノン領に対する侵略を撃退することができる。(14)

私は、透明性をもって、そして「殉教者は我々の魂であり、捕虜になった者は我々に託された責務である」という信条のもと、南部地域やベカー高原、そしてダーヒヤ地区をはじめとするレバノン全域で、イスラエルの攻撃によって破壊された箇所を再建する。またレバノンの主権と独立を手放さず、「我々の団結が強靭さの証左であり、我々の多様さは経験の豊富さであること」、そして「今こそ、他者に対して優位に立つために国外に依存するのではなく、外交関係の活用においてレバノンを信頼するときである」ということを諦めない。(15)

私は我々が一丸となって、難民の帰還する権利を保護し、「ベイルート・サミット」で採択された二国家間解決を確実なものにするため、アラブ和平イニシアチブに基づいて兄弟であるパレスチナ人の定住を拒否する原則に貫徹する。またパレスチナ人難民キャンプを含むレバノン全土で権限を行使し、彼らの人間としての尊厳を保つというレバノン国家の権利を主張する。(16)

私は、レバノンの帰属意識およびアイデンティティが「アラブらしさ」にあることを鑑みて、兄弟であるアラブ諸国と最良の関係を築き、東方アラブ諸国や湾岸諸国、そして北アフリカ諸国と戦略的パートナーシップを構築する。またこれらの国々の政権および主権に対するいかなる謀略にも反対し、積極的に中立政策を講じたうえで、レバノンで作られる良質な製品しか輸出しない。さらにアラブの発展についていき、我々の資源で彼らを富ますためにアラブ人観光客や学生、投資家らを呼び込み、包括的かつ双方向の経済を構築する。(17)

せわしなく移り変わる地域情勢を鑑みると、我々は、シリアとの間にあるすべての問題、特に「両国の主権と独立の尊重」、「両国境の管理」、「両国の国内問題に互いに介入しないこと」、「行方不明者問題」、「レバノンという存在そのものに危機を与えるシリア人難民問題の解決」、「この危機的状況に対処するためのシリア人や国際社会との協力」について対処するために、当該国と真摯で寛容な対話を始める歴史的な機会を持っている。そしてこれらは、人種差別的な提案および否定的なアプローチなしに、祖国を取り戻すような早急に実施できる明白な制度を構築するための次期内閣や国会による尽力とは別に行われる。(18)

我々は東西に目を向け、同盟関係を築きつつ、レバノンの主権や決定の自由を維持する形で相互尊重の原則に基づいて、諸友好国や国際社会との対外的な関係を活性化させる。(19)

レバノンが在外邦人を誇りの思うように、在外邦人もレバノンを誇りに思ってほしい。彼らには投票権があり、投票権は自身の望みをレバノンのすべての村や町への帰属意識へと変える神聖な権利である。また帰国を望む者やそれが可能な者は帰国し、恒常的な移住が、不必要な一時の考えになるだろう。(20)

私は次期内閣とともに、権力を移行する機会や正確な代表制度、および透明性や説明責任を強化するような選挙法の進展に尽力する。また国民の負担を軽減し、持続可能かつ包括的な成長を強化するような形で、広範な地方分権主義に係る法律プロジェクトの承認に取り組む。(21)

私は、自由経済と私有財産主義の維持および、政府と透明性という制限下にある諸銀行が組織化された経済に貫徹する。法律以外に銀行を支配するものはなく、その職務以外に銀行に秘密があってはならない。また私は、預金者の資金の保護を軽視しない。(22)

私は社会的セーフティーネット、特に社会保険や保健サービスの強化を目指し、環境保全に尽力するとともに、憲法や法律の下での報道の自由および表現の自由を尊重する。(23)

一に教育、二に教育、三に教育というように、我々は公立学校やレバノンの大学、および私的教育やその自由の維持に投資していく。(24)

私の公約は、貴議員たちの公約でもあり、工業や治安面で強い経済と約束された将来を持つ強い国家をつくりたいと願うすべてのレバノン人による約束でもある。(25)

もう時間と機会を無駄にする余裕はない。あなた方(議員たち)には次期選挙について考えるのではなく、子供たちの将来や高齢者たちの尊厳が今後どうなるかを考えてほしい。(26)

我々の義務は国家の手本となる女性ないしは男性になることであり、自己の利益ではなく我々の世代の将来を考えることである。また我々自身をレバノンに仕える者ではなく、レバノンの統治者だと考えるべきである。(27)

戦友たちへ。私はこの瞬間軍服を脱ぎ、民間人の服を着るが、私はあなた方とともにあり続け、名誉、犠牲および忠誠の学校である国立学校に帰属していたことを誇りに思っている。また私はあなた方の犠牲や勇姿を心と頭に記憶している。あなた方は、祖国の両肩に立ちその統一を守りながら、一日たりとも人民を見捨てなかった。私としては、あなた方を見捨てないつもりだ。(28)

親愛なるレバノン人たちへ。私の公約はあなた方の約束でもある。やるべきことが多くあり、私一人では成し遂げられないが、これは議員たち、閣僚たち、司法、そして市民社会の責務でもある。私は彼らとともに、公益や、レバノン人の個人および集団の権利を守りつつ、世界に対し、レバノンの辞書には「汚職」の文字が無いことを示すことを約束する。 これはあなた方の独創性を発揮する時であり、あなた方が持つ確固とした精神に対して世界を感心させる時であり、また平和や啓蒙、協調や連帯の時である。ある宗派がほかの宗派より優先されることも、またある国民がほかの国民より優遇されることもない。これは憲法を遵守し、法を適用する国家を建てる時だ。つまり「レバノンの時代」なのだ。(29)

あなた方に万歳、レバノン万歳。(30)

4. 演説から分かること

全体として、イスラエルによる侵攻の前から問題となっていた「政治の硬直」と「経済の低迷」に積極的に取り組む姿勢が見えた。まず(2)、(10)、(17)、(29)で、「レバノン人らしさ」、「アラブ人らしさ」、「すべての国民の平等」が挙げられていることから、政治が硬直する原因となっていた過度な宗派主義の克服に注力するだろう。また(11)、(22)、(26)から、低迷している経済の立て直しを図るのは明らかだが、(23)や(24)から、またレバノンのGDPが低下していることを鑑みると、経済立て直しに加え、歳入に占める社会保障支出が多いことを特徴とする「大きな政府」を目標にしていると考えられる。そしてそのような政府を目指すにあたって、中央集権国家ではなく地方分権国家を理想としていることが(4)および(21)から分かる。

つぎに(7)、(12)で「国家による暴力装置の独占」を主張していることから、ヒズブッラーに直接言及はしないものの、将来的にヒズブッラーの軍事部門を禁止し、レバノン軍を唯一の正当な暴力装置として確立していくだろう。ミシェル・アウン前大統領がヒズブッラーの議員を首相に指名したり、ミーカーティー暫定首相がヒズブッラーの支援を受けていることに反対したデモが発生していたことを考慮すると、暴力装置の独占に言及し、ヒズブッラーを暗に牽制したのは画期的だと言える。

そして(12)、(14)、(15)からは、イスラエルによる攻撃および占領に反対し、国土の完全な回復を目指していることが分かる。これは昨年行われたイスラエルによる地上作戦および度重なる空爆だけでなく、シャブアー農場をはじめとする同国による一部地域の占領を念頭に置いたものだろう。

一方昨今のシリア情勢を考慮したのもとして、(18)が挙げられる。シリア内戦の激化にともなって増加したレバノンへのシリア難民が国内で問題となっているなか、アサド政権の崩壊にともなって、彼らの帰還を促進する狙いがあると考えられる。一方パレスチナ問題に関しては(16)から、「二国家間解決」を基本とする考えが明らかになった。またレバノン難民に関しても、自国への帰還を促す考えを(20)が示唆している。

5. おわりに

今回のジョゼフ・アウン新大統領の選出では、彼が第一級公務員である軍司令官であったため、憲法第49条に抵触するという問題があった。しかし憲法第74条を参照し、前大統領の退任以降大統領職が空席であったことから、ジョゼフ・アウン司令官は憲法第49条の制約を受けないと解釈された。第1回投票では、両ブロックあわせて総議席の約4分の1を占める抵抗への忠誠ブロックや開発解放ブロックがジョゼフ・アウン司令官とは異なる候補者を推薦したため大統領の選出に失敗したが、第2回投票では、両ブロックが支持にまわったため、ジョゼフ・アウン司令官が過半数の票を獲得し、新大統領に選出された。

この結果を踏まえ、一方でカタールのジャズィーラ・チャンネルは、レバノンの政治学者のインタビューを引用し、「ヒズブッラーは強いと言わざるを得ない、そして今後も強大になるだろう」と報じた。また、『朝日新聞』は、「イランの支援を受けてきたヒズボラ[ヒズブッラー]は、イスラエルとの戦闘で最高指導者だったナスララ[ナスルッラー]師のほか多くの幹部が殺害されるなど、大きな打撃を受けており、影響力の低下が表面化する形となった」と伝えるなど、ニュースサイトにおける意見は大きく分けて二つに分裂している。そのため、政治の場におけるヒズブッラーやアマル運動の影響力が、昨今の戦闘を経て減退したのか否かは、この投票行動だけではわからず、さらなる観察を要するだろう。

一方、ジョゼフ・アウン新大統領の議会演説では、昨年行われたイスラエルによる地上侵攻とその後の停戦合意および今後の復興や、シリアでのバッシャール・アサド政権崩壊にともなうレバノン政府の対応が盛り込まれたことはもちろん、以前から同国で問題となっていた経済の低迷や、宗派主義に端を発した政治の硬直への対処、そしてレバノン人難民やシリア人難民の帰還について言及するなど、中身に富んだ演説となった。

本稿の検討により、ジョゼフ・アウン新大統領がどのような政策を重要視し、今後どのような政策を講じると予想されるかが明らかになった。その内容は実に豊富で、硬直していたレバノンの政治や経済がいよいよ動き出すかのように見える。しかしこの演説で表明した方針を基に、ジョゼフ・アウン大統領が実際にどのような政策を講じ、国内外に多数存在する問題にいかに対応していくか、そしてレバノンの政治はどのような方向へ向かうのかが今後注目される。

参考文献