CMEPS-J Report No. 97(2025年4月3日作成)
大森 耀太
はじめに
ハマースは2023年10月7日、「アクサーの大洪水作戦」と銘打って、陸、海、空からイスラエルに対し攻撃を仕掛け、民間人を含む多数のイスラエル人を殺害し、多くの人質を掠取した。これに対し、イスラエル政府は、「ハマースの根絶」をスローガンに、攻撃を受けた当日からガザ地区に対して爆撃を開始し、10月9日には水や電気、燃料などの搬入を認めない「完全封鎖」を宣言、また同月28日頃からは地上攻撃にも踏み切った(鈴木[2024:26])。その後イスラエルの圧倒的な軍事力を前に、多くの住民が死者、負傷者、行方不明者となるだけでなく、インフラの崩壊、ポリオをはじめとする感染症の蔓延、飢餓など様々な被害が確認された。そして複数の記事で「非対称戦」(小木[2024]、『日本経済新聞』[2025])と評されるこの戦争では、勃発から約15ヵ月後の2025年1月15日、米国やカタール、エジプトの仲介のもとで停戦合意が結ばれ、同月19日に期限付きの停戦が発効した。その後は停戦合意に基づいて救援物資の搬入や人質交換などが行われたが、3月18日になってイスラエルは、ハマース側が交渉を拒否したことを理由に爆撃を再開し、ネタニヤフ首相らが戦争の再開を宣言するに至った。
一方、ヨルダン川西岸地区では、2023年10月7日以降、イスラエル当局によるパレスチナ人の大量逮捕、殺害、移動制限、入植者による暴力が激化した。実際、停戦発効までに10,400人以上が拘束され(Hayʼa Shu’ūn al-Asrā wa al-Muḥarrarīn[2025a])、828人が死亡した(OCHA[2025a])。また入植者からの暴力については、2024年12月までで少なくとも1,860件の事件が発生しており(Aljazeera[2025a])、国内避難民(IDPs)の発生につながっている。さらに、ガザ地区での停戦合意発効後も、西岸地区では同様の行為がイスラエル当局や入植者によって行われている。しかし、ガザ地区の情勢が世界的な注目を集めるなか、西岸地区の情勢が脚光を浴びることは少なくなっている。
本稿では、ガザ地区での停戦発効以降に西岸地区で起こっていることに着目し、「もう一つの戦場」(Le Monde[2024])とも評される西岸地区の情勢はどのように評価されているのか、そしてそれらの評価は妥当なものであるのかを検討する。
1. 西岸地区の情勢はどう評価されているのか
本節では、日本語、英語、アラビア語で書かれた記事を抜粋し、確認することで、ガザ地区で停戦合意が発効して以降の西岸地区情勢に関して、どのような評価がされているのかを明らかにする。
アラブ・ニュース(ARAB NEWS Japan[2025])は、イスラエルの建国以来、西岸地区が入植活動やイスラエル軍による治安維持活動の的になっており、特にガザ地区での戦争勃発以降、これらの被害が拡大していることに焦点を当て、以下の通り伝えた。
イスラエルがヨルダン川西岸地区に対して用いている戦略は、ガザ地区で現在行っている戦争のやり方と類似しているように見える。軍事作戦の規模や激しさというよりも、武装勢力との戦闘における不均衡な武力行使や、民間人の生活や人権に対する無神経さにおいてである。最近では、イスラエルはパレスチナ人が帰還する期限を定めることなく、彼らを家屋から追い出すことにますます熱心になっている。
そして、イスラエルによる非対称戦を非難しつつ、その戦略がガザ地区で用いられたものと類似していると指摘した。
一方、イスラエルの人権団体であるベツェレム(B’TSELEM[2025])は、以下のように述べ、イスラエルの西岸地区政策が「ガザ化」していると主張した。
西岸地区北部に対する締め付けが強まるなか、イスラエルはガザ地区の戦闘で使われた戦術やドクトリンを再現し始めた。これには、民間人の集中する区域に対する爆撃の増加や、家屋やインフラの意図的かつ大規模な破壊、軍によって戦域に指定された区域からの民間人の排除が含まれる。これらの行為は、イスラエルが西岸地区の「ガザ化」(Gazafication)に向けて取り組んでいることを示唆しており、すでに西岸地区北部ではこれらの行為が実施され、政府発表によると他の地域にも拡大するという。
そのうえで、イスラエルによる爆撃の激化、第二次インティファーダ以降初の戦車投入、大量のIDPsの発生を「ガザ化」の根拠として挙げ、今後も事態が悪化することを危惧した。
さらに国際NGOのオックスファム(OXFAM[2025])は、西岸地区の「ガザ化」に焦点を当て、以下のように西岸地区情勢を評価した。
イスラエル軍による暴力行為が劇的に増加しているため、西岸地区では占領開始以来で最大数のIDPsが発生している。我々オックスファムは、西岸地区の「ガザ化」が進むなかで、不可欠な人道支援や人道計画が滞ったり、破壊されていると警告した。
そして、人道支援を行う国際NGOの立場から、イスラエルによる検問所の閉鎖やインフラの破壊によって、人道支援物資の搬入がほぼ不可能になっていると指摘した。
一方、カタールの衛星放送であるジャズィーラ・チャンネル(Aljazeera[2025b])は、「ガザの影が西岸地区を覆う」と題した記事で、ジェニーン区の報道官の声明を引用し、以下のように指摘した。
ジェニーン区のバシール・マターヒン報道官は、「ジェニーン難民キャンプでは、ガザ地区北部のジャバーリヤー区で起こったことが繰り返されており、数百棟の家屋が破壊されたり、放火されたりするなど、イスラエルの度重なる攻撃によりこの難民キャンプは住めなくなってしまった」と語った。
また、イスラエル軍が、西岸地区北部に水タンクや発電機を搬入しており、長期の駐留に向けて準備をしているのではないかと推測した。
これら四つの記事では、イスラエル軍による西岸地区政策がこれまで以上に過激化しており、それはIDPsの人数、爆撃の回数、破壊されたインフラの広さなどから演繹できると伝えた。そしていずれの記事も、イスラエルによる西岸地区での作戦が、ガザ地区に対する作戦と類似してきた点を指摘し、ベツェレムやオックスファムはこの現象を西岸地区政策の「ガザ化」と評価した。
2. イスラエルによるガザ地区攻撃
前節で取り上げた記事はいずれも、西岸地区に対するイスラエルの攻撃が「ガザ化」していると指摘していた。そこで本節では、2023年10月7日以降のイスラエルによるガザ地区攻撃を概観する。そして次節で、各記事が検討の対象としている2025年1月20日から現在までの期間に、イスラエルは西岸地区に対して何を行ってきたかを俯瞰し、「ガザ化」という評価が妥当なものか否かを検討していく。
まず、ジャズィーラ・チャンネル(Aljazeera Arabic[2024])が伝えているように、ガザ地区での戦争におけるイスラエルの戦争目標は、「ハマースの根絶」、「人質の奪還」、「ガザ地区からイスラエルに対して向けられる脅威の無力化」である。
次にハマースとの戦争の位置づけだが、新井[2024]が指摘するように、イスラエルはガザ地区での戦争をイスラエル・ハマース間の武力紛争であると規定しているため、ガザ地区での戦争は、国際的武力紛争(IAC)ではなく非国際的武力紛争(NIAC)であると捉えている。そのうえでハマースによる2023年10月7日の攻撃直後のイスラエルの戦略を見ると、当日からガザ地区に対して爆撃を開始し、10月9日には水や電気、燃料などの搬入を認めない「完全封鎖」を宣言、また同月28日頃からは地上攻撃にも踏み切っている(新井[2024:26])。そして地上攻撃では、ガザ地区の住民約79%に対して退避命令を出したうえで(UN[2024])、ガザ地区北部および北西部から侵攻を開始し、比較的ゆっくりと約1ヵ月かけて中部や南部へと進攻していった(Britannica[2025])。その後は、ガザ地区を南北に分断するネツァリム回廊を拠点に作戦を行ってきた。その結果、現在までに死者数が5万人以上、負傷者数は約11万人におよぶ。そして一部報道では、死者数のうち約7割が女性や子供であるとも言われている(BBC[2025])。
これらのことから、イスラエルによるガザ地区攻撃で特徴的なのは、イスラエルがこの戦争をNAICと捉えていること、地上侵攻によって大規模な破壊が行われていること、大量の死者と負傷者が発生していること、そして死傷者に含む非武装者の割合が高いこと、であると言える。
3. 西岸地区で起こっていること
本節では、ガザ地区における停戦が発効して以降、西岸地区で何が起こっているのかを俯瞰し、イスラエルによる西岸地区の攻撃が「ガザ化」しているという評価が妥当なものか否かを検討していく。
西岸地区では、イスラエル・カッツ国防相が「テロリストを排除するための強力な作戦を実施している」と述べており(NHK[2025])、これにより、ジェニーン区やトゥールカルム区などの西岸地区北部を中心に相当数の被逮捕者および死者が発生している。実際、2025年1月は約580人、2月は762人が逮捕されており、その数は増加していることが分かる(Hay’a Shu’ūn al-Asrā wa al-Muḥarrarīn[2025b]、Hay’a Shu’ūn al-Asrā wa al-Muḥarrarīn[2025c])。また停戦発効から3月4日までに、子供や女性を含む74人が殺害された(OCHA[2025a])。しかしイスラエルは西岸地区での行動を、「テロリスト排除のための作戦」と位置づけているため、この行動はIACとNIACのどちらにも分類されない。
さらにイスラエル当局は、西岸地区各所にある検問所の封鎖や通行制限を行うことで、パレスチナ人の移動を制限している。ガザ地区での戦争勃発以降、西岸地区各所にある検問所が封鎖、制限されると、子供が通学できなかったり、生活必需品の流入が途絶えたりと、パレスチナ人の基本的な生活に大きな影響が出た。また、ハマースによる攻撃の直後は主要検問所を完全封鎖し、その後は年齢や性別に基づいて通行を制限するなど、戦争の経過とともにこの封鎖は強弱した。しかし停戦合意発効後には再び封鎖が強化され、新たな検問所も設置されるなど、6万人以上のパレスチナ人の日常的な移動が制限されている(UN[2025b])。
また2025年3月20日付の国連の報告書によると、ジェニーン難民キャンプなどの西岸地区北部では、イスラエル軍によって水道や下水処理施設などのインフラやパレスチナ人の住宅が破壊されているという(UN[2025c])。
西岸地区では、イスラエル当局によるこれらの行為に加え、入植者による暴力が問題となっている。2025年2月27日付の国連人道問題調整事務所(OCHA)の報告書によると、2月18日から2月24日までの1週間に、入植者による暴力行為や農園の破壊行為が24件確認されたという(OCHA[2025b]https://www.ochaopt.org/content/humanitarian-situation-update-268-west-bank)。
そして西岸地区では、上記のような状況を受け、大量のIDPsが発生している。2025年1月19日以降に西岸地区でIDPsとなったパレスチナ人の数は、ジェニーン難民キャンプやトゥールカルム難民キャンプ、ヌール・シャムス難民キャンプを中心に4万人以上におよび、この数字は1967年の第三次中東戦争以来最大の数字とされている(UN[2025a])。
このことから、西岸地区でのイスラエルによる攻撃では、テロリスト排除のための作戦という攻撃の位置づけ、パレスチナ人の大量逮捕、移動制限、入植者からの暴力、が特徴であることが分かった。そしてこれらの特徴は、イスラエルによるガザ地区攻撃の特徴とは異なっていた。そのため、イスラエルによる西岸地区への攻撃がエスカレートしたことを受けて、イスラエルによる西岸地区の攻撃が「ガザ化」していると評価するのは、イスラエルが西岸地区で何を行っているのかに立脚していないものであると言わざるを得ない。
おわりに
本稿で俯瞰した通り、西岸地区ではイスラエル当局によるパレスチナ人の大量逮捕や殺害、検問所の閉鎖や通行制限による移動の制限が実施されている。これに加え、武装した入植者らが入植地から近いパレスチナの村々を襲い、農園を破壊したり、パレスチナ人住民を殺害したりしている。そしてこれらの帰結として、多くのパレスチナ人がIDPsとなったり、人道支援物資の搬入が滞ったりしており、西岸地区の状況が著しく悪化していることが分かった。西岸地区のこのような状況を、本稿で取り上げた各記事は、「西岸地区の「ガザ化」」と評価し、西岸地区におけるイスラエルの行動が、まるで戦争下のガザ地区での行動であるかのように過激化していると指摘していた。
しかし、イスラエルによるガザ地区への攻撃の特徴と、西岸地区への攻撃の特徴を比較することで、前者と後者には相違点が多くあり、イスラエルによる西岸地区への攻撃が「ガザ化」しているとの評価は、西岸地区の実態を真に反映していないものであることが明らかになった。
2023年10月7日のガザ地区での戦争勃発以降、ガザ地区の陰に隠され、取り上げられることが少なかった西岸地区情勢だが、ガザ地区で停戦が発効してからは西岸地区に注目する記事が増えてきた。そこで明らかになったのは、ガザ地区での停戦が進展するなかで、停戦以前よりも状況が悪化している西岸地区の実態であった。しかし多くの記事がそれを「ガザ化」と評してしまうことで、またも西岸地区の実態はガザ地区の陰に隠され、そこで何が起こっているのかが不明瞭になっている。
イスラエルがガザ地区に対する戦争を再開し、ガザ地区情勢が世界的な注目を再び集めるなか、西岸地区の情勢にも注目し、これを分析していくことが今後必要とされるだろう。
参考文献
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- 新井京[2024]「イスラエル・ガザ紛争と国際人道法:lawfareの彼方に希望はあるか?」鈴木啓之編『ガザ紛争』東京大学出版会、pp. 115-129.
- 小木洋人[2024]「ウクライナとガザにおける国際人道法の政治学」地経学研究所、8月7日.
- 鈴木啓之[2024]「緊迫するガザ情勢と今後の見通し」鈴木啓之編『ガザ紛争』東京大学出版会、pp. 25-35.
- 山本健介[2025]「ガザの影に隠れた苦境:イスラエル、東エルサレム、西岸のパレスチナ人」鈴木啓之編『ガザ紛争』東京大学出版会、pp. 61-78.
- 日本経済新聞[2025]「ガザ、薄氷の合意履行:停戦初日は戦闘なし」1月20日.
- Aljazeera[2025a]“Mapping 1,800 Israeli Settler Attacks in the West Bank since October 2023,” January 22.
- AlJazeera Arabic[2025b]“Shabaḥ Ghazza Yuṭārid al-Filasṭīnīyīn fī al-Ḍiffa al-Gharbīya,” February 25.
- alJazeera Arabic[2023]“Faqra al-Taḥlīl al-‘skarī .. Mā Istirātījiya Isrā’īl li al-Tawaghghul al-Barri fī Ghazza?.” October 22 (https://www.youtube.com/watch?v=617XGJ_tL8U )
- ———[2024]“Taḥlīl li al-Jazīra Yarṣud al-Istrātījiya al-iʻlāmīya li al-Jaysh al-Isrā’īlī fī al-Ḥarb ‘ilā Ghazza,” May 13.
- ARAB NEWS Japan[2025]「ヨルダン川西岸地区がガザ地区の二の舞いになってはならない」3月9日.
- NHK[2025]「イスラエル軍ヨルダン川西岸で新たな軍事作戦開始:国連が懸念」1月22日.
- BBC NEWS JAPAN[2025]「ガザ地区の死者、5万人超す:ハマス運営の保健当局が発表」3月24日.
- Britannica[2025]“Israel-Hamas War,” May 26.
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- Hay’a Shu’ūn al-Asrā wa al-Muḥarrarīn[2025a]“Taḥdīth li-Aʻdād al-Asrā li-Shahr Kānūn al-Thānī/ Yanāyir 2025, ʻIlman anna Hādhihi al-Muʻṭayāt lā Tashmal al-Muʻtaqalīn Kāffatan min Ghazza,” January 9.
- ———[2025b]“Naḥwa 580 Ḥāla Iʻtiqāl fī al-Ḍiffa khilāla Kānūn al-Thānī/ Yānāyir, Aʻlā-hā fī Jinīn wa Mukhayyam-hā,” February 10.
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———[2025a]“Israeli Military Operation Displaces 40,000 in the West Bank,” February 10.
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