CMEPS.J Report No. 106(2026年2月28日)
大森 耀太
はじめに
バッシャール・アサド政権が2024年12月8日に崩壊して以降、「侵略抑止」軍事司令局の総司令部およびその主体であるシャーム解放機構(Hay’a Taḥrīr al-Shām:HTS)の指導者であったアフマド・シャルアを大統領とする移行期政権が暫定統治を担ってきた。これまでに同政権は、複数の反体制武装組織をまとめた新生シリア軍の設立や、内閣の発足、暫定人民議会選挙の実施、クルド民族主義勢力の統合に向けた協議など、中央集権体制の確立に向けた政策を採ってきた。しかし、こうした取り組みは内憂外患によって滞っている。
シリア国内では、マイノリティを狙った事件の多発や自治を志向する勢力の伸張など、宗教、宗派や民族・エスニック集団を単位とした社会的亀裂が深まっている。一方、対外関係において移行期政権は、米国やイスラエル、トルコやロシアといった国々から様々な要求を提示されており、譲歩を迫られる局面も少なくない(青山[2025a][2025b])。
こうした内憂外患にさらされているシリアでは現在、興味深い事象が起きている。1979年から2003年までイラクの指導者だったサッダーム・フセインの図像が拡散しているのだ。こうした図像は、X(旧Twitter)やFacebookといった主要SNS上において拡散されているだけでなく、車の窓ガラスや(al-Kawākibī[2025])、街中でも見られる(画像1を参照)。
画像1 店先に並ぶサッダーム・フセインの顔写真

出所:青山弘之提供、2025年12月23日、ダマスカス旧市街にて撮影。
本稿では、諸外国の干渉と国内各勢力の分断状況に晒される現下のシリア社会において、サッダーム・フセインの図像はどのような役割を果たすのかを検討する。
象徴的なモノやアイコンが人々の糾合を促すことは、さまざまな場所で見られる現象である。例えば、2023年10月7日から続くガザ紛争でのイスラエル軍の残虐な行為に対する世界大の抗議運動において、人種も異なる人々の団結を促す象徴として「鍵」が用いられている例が確認できる。鍵は、イスラエルの入植によって家を追われた人が持っていた自宅の鍵に由来する。それは、かつてそこに家があり、財産があり、故郷に帰る権利があるということを示す象徴として機能しているという(安田[2025])。また、イスラエル軍の爆撃で死亡した子供のヒンド・ラジャブを抗議運動の象徴として人々が結集した例も確認されている(Johnson[2024])。実際、この抗議運動でヒンド・ラジャブは、イスラエルの残虐さを象徴するアイコンとして扱われていた。
以上を踏まえると、サッダーム・フセインの図像も、象徴として同様の機能があると考えられる。すなわち、フセイン図像は、シリアにおいて人々の糾合を促すようなナラティヴを作り出していると仮定することができる。
この仮説の妥当性を検証するため、以下ではまず、1.ではサッダーム・フセインがどのような人物であったかを振り返り、そのうえでフセインに対する現代アラブ人の見解を俯瞰する。続いて2.では、仮説を検証するための手法を紹介する。その後3.では、2.で示した手法を用いて仮説の検証を行う。そして5.では、検証結果を改めて考察し、本稿の結論を述べる。
1. サッダーム・フセインとその印象
サッダーム・フセインは、イラクで1968年にバアス革命を主導したアフマド・ハサン・バクル大統領に代わり、1979年に大統領に就任した人物である。フセインの所属するバアス党による統治は、アラブ民族主義をそのイデオロギー的正統性の源泉としていた(青山[2004:31-45]、酒井[2001:141-174])。しかし、フセインの統治は、アラブ民族主義の根幹たるアラブ性に、イスラーム教スンナ派という宗派性、およびメソポタミア文明の後継者という文化性をつけ足したものだった。実際、酒井[2001:141-174]は、「アラブ民族主義政権がスンナ派アラブの部族的紐帯に依存して軍の勢力を確保、国内掌握においてその軍事力に全面的に頼ったため、スンナ派アラブの政治的独占が固定化した」と指摘していることから、フセインがスンナ派という宗派性を重視する背景が分かる。一方で、フセインは、イスラーム教徒や非イスラーム教徒、クルド人、アラブ人、トルクメン人が混在するモザイク社会を統合、統治するために、メソポタミア文明に依拠しており、これは宗派や民族の差異を越えた統治を行おうとしたことの証左とも言える(山尾[2015:64])。
しかし、実際には、国家による社会の支配や政策決定において重要な役割を担うムハーバラート(諜報機関)の上層部に、同郷の者を登用したり、バアス党員の粛清を実行したりと、その統治は、個人支配の様相を呈していた(青山[2018])。さらに、シーア派を「シュウービーヤ」(al-Shu’ūbīya)として排除、弾圧したり、クルド人に対して毒ガスを使った攻撃を行うなど、スンナ派以外の国民を周縁化、弾圧した。また、宗派や民族に関わらず、「反体制的」とみなされた者は、強制失踪や処刑、拘束の対象となった(MacFarquhar[2006])。
他方、対外政策としては、その好戦的な姿勢が注目されてきた。まず、サッダーム・フセインは、1979年にイスラーム革命が起こったイランに目を付けた。イラクが譲歩して同国と結んだ、シャット・アルアラブ川に係る合意に対する不満や、イラン国内の石油資源へのアクセス、イラクへの革命波及の懸念などを理由に、1980年、イランへ侵攻し、イラン・イラク戦争を引き起こした(Britannica[2026])。この戦争は長期化し、国連の停戦勧告をイラクが受け入れる形で1988年に停戦するに至った。さらに、フセインは、その2年後の1990年、クウェートの油田獲得、同国からの借款の帳消し、および中東でのプレゼンス強化のため、クウェート侵攻を行い、同国を占領、イラクに併合した。イラクによるクウェート侵攻は国際社会から大きな非難を受けた。そして、国際連合安全保障理事会決議第678号に基づき、米軍を中心とする多国籍軍は1991年1月、航空作戦を中心とする「砂漠の嵐」作戦を実施、翌月2月には「砂漠の剣」作戦と銘打った地上戦を開始した。この多国籍軍による攻勢を受け、イラクはクウェートから撤退した。
そして、米国のジョージ・W・ブッシュ大統領は2003年、サッダーム・フセイン政権が大量破壊兵器を所持していると断罪し、イラク侵攻を行った。その結果、政権は崩壊し、フセインは米軍に捕らえられた。その後2005年、フセインの身柄が米軍からイラク司法当局に引き渡されて行われた裁判で死刑判決を受け、その4日後に刑が執行された。
米軍によるイラク侵攻の口実となった大量破壊兵器は、発見されなかったものの、国内では強権支配を敷き、対外的には拡張的な政策を採ってきたサッダーム・フセインに対しては、国外へ亡命したイラク人や外国政府といった国外からの非難が相次いでいた(酒井[2001:141-174])。事実、当時のブッシュ政権が、フセインによる様々な弾圧や人権侵害を非難しているのに加え(The White House[n.d.])、英国の外務・英連邦・開発省も同様の報告書を発表している(Foreign & Commonwealth Office London[2002])。そして、フセイン政権崩壊から10年を経た2013年の英国議会においても、同政権によるクルド人弾圧や虐殺が議題に挙げられている(UK Parliament[2013])。すなわち、大量破壊兵器を度外視してもなお、フセインが悪名高いことが分かる。
しかし、中東地域に住むアラブ人からみたサッダーム・フセインの印象は、これとかけ離れているようである。Ibrahim[2023]によると、多くのアラブ人は、西欧の植民地主義、拡張主義、そしてイスラエルによるパレスチナの占領に立ち向かった英雄としてフセインを捉えている。また、フセインを英雄視する現象は、イラクが同じアラブ諸国に侵攻した際も衰えることはなく、むしろ米国によるイラク侵攻およびフセインの死刑執行後は、より高まったのである。こうした現象は、アラブ人知識人の論説にも表れている。アルジェリア日刊紙の『シュルーク』(al-Shurūq[2012])は2012年12月30日付の記事で、「漢として生き、英雄として死んだ」と題した社説を発表し、フセインを肯定的に扱った。また、’Aṭā al-Allāh[2024]は、フセインを英雄視する現象や、その統治を懐かしむ現象が、近年増加していると述べたうえで、そうした現象の要因として、人々の記憶の弱さと、現在のイラクの政権担当者の無能さを指摘している。
サッダーム・フセインを英雄視する現象は、イラクの隣国であるヨルダンでも発生している。フセイン政権の崩壊を悲しむ人がいたのは、当時からフセインに惚れ込む人がいたことを示唆している(Ibrahim[2023])。また、ヨルダンの首都アンマンでは現在、ガラスにフセインの写真を貼った車、似顔絵が描かれたスマホケース、顔写真をあしらったステッカーなど、いたるところにその図像が流布している(画像2を参照)。こうした図像を所持している人たちは、フセインを、「西欧の占領に抵抗した英雄」、「米国とイスラエルに反撃した唯一のアラブ人指導者」、「(エジプトの)ナセルを越える傑物」と評価していることが分かった(Ersan[2021])。
画像2 アンマン市内で散見されるサッダーム・フセインの図像

出所:Ersan[2021]を基に筆者編集。
以上を踏まえると、サッダーム・フセインは、「西欧諸国に抵抗するアラブの英雄」としてのイメージを獲得していることが明らかになる。このイメージは、先述したアラブ民族主義に沿ったものである点、またこの概念が国民統合に利用されていた点を鑑みると、一部アラブ諸国で一部の市民を結集させる効果があると推測できる。
一部アラブ諸国で観察されるサッダーム・フセインを英雄視する現象は、同一の言語圏およびアラブ地域で生じていた。したがって、これらの事例は、同じ言語圏かつアラブ地域のシリアにおけるフセイン図像の流布の先行事例とみなすことができる。したがって、フセイン図像がシリア国内において人々の糾合を促すナラティヴを提示しているという仮説は、他のアラブ諸国同様に検証可能だといえるだろう。次節では、この仮説を検証するための手法を提示し、検証を行う。
2. 分析手法
サッダーム・フセインの図像が人々の糾合を促すようなナラティヴを形成しているという仮説を検証するために、2段階の検証を行う。第1段階では、2つの手法を用いることで、フセイン図像がどのようなナラティヴを提示しているのかを検討する。そして第2段階では、第1段階で確認されたナラティヴは人々の糾合を促すのかを精査する。
第1段階では、サッダーム・フセインの図像が何と、あるいは誰と並列されているかを観察する手法を採用する。Hariman and John[2018:176-181]によると、象徴的な図像は、人々を市民として束ね、世論を形成し、共同体における活動への動機を提供する重要な資源をもたらす。また、図像は、社会的知識やイデオロギーを伝達するだけでなく、特定の出来事に対する理解を形成し、市民の間の関係を成熟させる。そして、図像は、その描写のされ方や、図像が含む記号(示唆)、市民側の共鳴、共同体内の問題への言及によって象徴的なものになる(Hariman and John[2018:176-181])。また、図像解釈学の観点から、Correio[2013:345-353]は、図像の意味は、その図像の置かれた文脈や、他の図像との関連に依拠していると指摘している。さらに、ある図像を見たとき、見た人たちの記憶にある「過去に見たさまざまな図像」が想起され、それらと対象の図像が重なり合うことで、現在見ている図像の意味が規定される(Correio[2013:345-353])。すなわち、象徴的な図像は、市民に何らかの意図を発信しようと拡散されているのであり、その意図は、拡散されている図像に紐づけられた他の図像や文言、図像を見た人が想起する他の図像との関係性の中で形成されていると考えることができる。
したがって、サッダーム・フセインの図像が人々に何を想起させるのか、またその図像がどんな図像や文言と並列されているのかを注視することで、その図像がどのようなナラティヴを提示しているのかを推測することができる。
そのうえで、SNS上でブームとなったフセイン図像に関する投稿に書かれている文章を分析し、一つ目の手法で得られた解釈を精査する。一般システム理論(General System Theory)によると、ICTを中心とする技術革新が、社会を隔てる地理的制約を瓦解させ、社会をより密接なものにした。そうした社会では、人々が容易に自らの見解を述べたり、社会的現象を生み出すことで、現実社会に大きな影響を与える(Otieno[2025:83-92])。実際、Otieno[2025:83-92]は、SNSの投稿を定性的に分析することによって、ケニアで2024年に発生した抗議運動の性質を明らかにしている。本稿ではこの研究を援用し、アサド政権の崩壊以降、SNSで1万回以上閲覧された投稿かつ、フセインの図像を動画や画像といった形で流通させている投稿を分析することで、その図像がどのようなナラティヴで語られているのかを確認する。
そして第2段階として、第1段階で明らかになったサッダーム・フセイン図像が提起するナラティヴが人々の糾合を促すものなのかを検討する。
3. 分析
本節では、仮説を検証する第1段階として、サッダーム・フセインの図像がどのような文言や図像と並列されているのかを確認する。そのうえで、SNS上でブームになったフセインの図像に関する投稿ではどのようなことが記述されているのか観察する。しかしながら、SNS上の図像には、過去の図像を転用したものや、生成AIで作成したものなど、いわゆる「フェイク」図像も混在している。図像一つひとつを精査するような研究では、こうしたフェイク図像を取り除く必要がある。しかし本稿では、「シリア国内におけるフセイン図像の拡散」という事象を分析するため、その図像の真偽に関わらず、シリア社会を対象に拡散されたものは、それを見た人に対して何らかの意図を伝えてようとしていると考えて、これらも取り上げることとする。
以下の画像は、シリア国内でSNSやメディアで取り上げられた、または偶然にも映ったサッダーム・フセインの図像である(画像3、画像4、画像5、画像6、画像7、画像8、画像9、画像10、画像11を参照)。
画像3 車のリアガラスの図像

出所:al-Ḥadath al-Mubāshir[n.d.]。
画像4 車のリアガラスの図像

出所:Kawākibī[2025]。
画像5 横断幕の図像

出所:Sergo[2025]。
画像6 旗に描かれた図像

出所:Jasim[2025]。
画像7 旗に描かれる図像

出所:al-Zughārī[2025]。
画像8 車のリアガラスの図像

出所:New Syria Agency[2025]。
画像9 プラカードに描かれた図像
出所:Darājī[2025]。
画像10 車のリアガラスの図像

出所:Kāmil[2025]。
画像11 車のリアガラスの図像

出所:al-Takrītī[2025]。
画像3から画像11において、サッダーム・フセインの図像は、移行期政権の暫定大統領であり、かつてシャーム解放機構の指導者であったアフマド・シャルア(アブー・ムハンマド・ジャウラーニー)、シリア人サッカー選手かつ敬虔なスンナ派で、反体制派としてシリア軍との戦闘で死亡したアブドゥルバースィト・サールート、移行期政権が作成した新たなシリアのビジュアル・アイデンティティの「鷹」、と並列されている。また、画像5では、アフマド・シャルアだけでなく、サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマーン皇太子、カタールのタミーム・ビン・ハムド・アール・サーニー首長、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領とともに映っていた。これらの図像の配置、またその図像が想起させるものには、いかなる共通項があるのかを検討するため、順を追って各図像の属性を精査する。
移行期政権のアフマド・シャルア暫定大統領は、2024年12月にアサド政権を打倒した「侵略抑止」作戦を率いたシャーム解放機構の指導者である。シャーム解放機構は、イラクのアル=カーイダ(イラク・イスラーム国)のシリアにおけるフロント組織として2011年末頃から活動を開始し、2012年半ばまでに各地に勢力を伸長し、シリアでもっとも有力な反体制派としての地位を揺るぎないものとしたシャームの民のヌスラ戦線を前身としており、米国をはじめとする西欧諸国から国際テロ組織に指定されていた(青山[2024])。シャルア暫定大統領は、いずれの組織においても、「アブー・ムハンマド・ジャウラーニー」と名乗り、指導者となっていた。また、画像8、画像10にあるシャルア暫定大統領の図像は、同氏が「アブー・ムハンマド・ジャウラーニー」としてイスラーム過激派を率いていた頃のものである。そのため、それらの図像は、現在の大統領としてのイメージよりも、ヌスラ戦線やシャーム解放機構の指導者としてのイメージを色濃く反映していると言えるだろう。すなわち、両組織がもつ、スンナ派イスラーム過激派組織という性質を、シャルア図像は提供しているといえる。
一方、アブドゥルバースィト・サールートは内戦前まで、シリア国内のサッカー選手であった。しかし、内戦が勃発すると、自ら民兵組織を組織するなど、アサド政権に対する武装闘争に身を投じるようになった。そして内戦の進行とともに、スンナ派過激派組織に傾倒するようになり、最終的にはシャーム解放機構の分派であるイッザ軍の一司令官として内戦で戦い、2019年に戦死した(Vohra[2019])。実際、シリア世論は彼を巡って二分した。「革命のサヨナキドリ」として称賛される一方、彼とイスラーム過激派との結びつきから、テロリストとしてみなされることもあった。
一方で、「シリア・アラブの春顛末記」[2025]によると、シリアの新たなビジュアル・アイデンティティの鷹は、建国時に芸術家のハーリド・アサリー氏がデザインし創出されたシリアの紋章である「金色の鷲」をベースにして作られたものである。鷲の頭上には国家を象徴する三つ星が配置され、鷲の5本の尾羽は、シリアの地理的主要地域である北部、東部、西部、南部、中部を象徴している。したがって、鷹のモチーフは、中央集権化を目指す移行期政権、さらにはその先頭にいるアフマド・シャルアの存在を暗示しているともいえるだろう。
サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマーン皇太子、カタールのタミーム・ビン・ハムド・アール・サーニー首長、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領について確認する。シリア内戦において3か国はいずれも、反体制派への支持、そしてアサド政権の打倒という点で一致していた(近藤[2020]、渡辺[2024]、Reuters[2024])。また、サウジアラビアはスンナ派イスラーム教を国教と定めているのに加え、カタールも、イスラーム教を国教とし、国民の大半がスンナ派を信仰している。一方、トルコは、憲法で世俗主義を規定している。しかし、エルドアン個人に焦点を当てると、「イスラーム的公正」を推進するなど、その宗教色が現れる。またエルドアンは、保守的なイスラーム主義者であり、思想的にはスンナ派のムスリム同胞団やスーフィーの組織とも親和性を持っていると指摘されている(内藤[2017])。つまり、この3者は、イスラーム教スンナ派という宗教的帰属においても一致しているといえる。
以上より、サッダーム・フセインの図像と並列されていた図像は、イスラーム教スンナ派を共通項としていると指摘することができる。同時に、エルドアン大統領を除く主要人物はいずれもアラブ人であり、さらにシリアのビジュアル・アイデンティティである鷹もまた中央集権制のアラブ国家形成に向けた歩みを象徴する意匠である。この点において、フセイン図像は、単なる個人崇拝などではなく、「スンナ派アラブ」という宗派的、民族的ナラティヴを想起させる機能があると解釈できる。しかしながら、エルドアン大統領という非アラブのアクターも含まれていることから、ここでアラブ性を断定することはできない。この点については、次のSNS分析で改めて検討する。
次に、SNS上の投稿を確認する。これによって、先述したサッダーム・フセインの図像が形成するナラティヴの精査を試みる。本稿で取り上げるSNSの投稿は、シリア国内でフセインの図像を拡散する画像や動画付きの投稿かつ、閲覧数が1万回以上のものに絞った。また、本稿では、分析対象をXに限定し、「サッダーム」(صدام)、「フセイン」(حسين)、「シリア」(سوريا)の3単語すべてが含まれる投稿を検索した。その理由は、第1に、Xでは投稿ごとの閲覧数が公開されており、本稿で挙げた「閲覧数1万回以上」という条件を明確に反映できる点にある。第2にXは、Instagramなどとは異なり、テキスト中心の媒体であるため、言説やナラティヴの分析に適している点が挙げられる。このような条件のもと、投稿を収集した結果が以下である(表1を参照)。
表1 サッダーム・フセインの図像を載せた投稿
| 日付 | 内容 | 出所 | 属性 |
| 2026年2月11 日 | 速報。シリアのラッカ市内のワーディー通りで、英雄サッダーム・フセインの写真とシリア国旗、トルコ国旗が掲揚された。自由で高潔なシリア、万歳。#ワーディー通り #ラッカ #アフマド・シャルア #サッダーム・フセイン・マジード | @antfadt | 好意的 |
| 2026年1月2日 | クウェートがあらゆる局面で支援してきたシリア人。故タバタバーイー(訳注:死亡したヒズブッラーの司令官)と何人かの元国会議員によろしく!!!!!! | @walidalhamadi1 | 批判的 |
| 2025年19日 | クウェート。政府も国民もシリア政府と国民を支持しているのに、彼らは墓の中のサッダーム・フセインの画像を掲げている。クウェート首長の写真はどこにあるんだ。恩知らずめ。#シリア_ムスリム同胞団_ダーイシュ | @omar_king_99 | 批判的 |
| 2025年12月9 日 | シリアで拡散中。シリアの街頭に、サッダーム・フセイン、エルドアン、アフマド・シャルア、ムハンマド・ビン・サルマーン、タミーム・ビン・ハマドの写真を掲げた看板がある。 | @middleeast_ev | 中立的 |
| 2025年12月8日 | ああ、誓っていうが、シリア人は隷属心とマゾヒズムで驚かせてくる。なんでサッダーム・フセインとエルドアンの写真がシャルアと一緒に並ぶんだ。#シリア解放 | @lewendciya | 批判的 |
| 2025年12月8日 | シリア沿岸部のタルトゥースで、故サッダーム・フセイン、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領、アフマド・シャルア(ジャウラーニー)大統領、ムハンマド・ビン・サルマーン皇太子、タミーム・ビン・ハマド・アール・サーニー首長の写真を載せた看板が掲げられた。#シリア #イラク #バグダード | @y78_38 | 中立的 |
| 2025年10月26日 | 我がイラク政府が屈服しているにもかかわらず、ジャウラーニーの武装集団、すなわちシリアのアルカーイダは、9年生の歴史教材に故サッダーム・フセインの写真を掲載している。これは、彼の旧体制によって抑圧された数百万人のイラクのシーア派、クルド人、さらにはスンナ派の感情を刺激する挑発であり、イラク国家全体に対する挑発でもある。 | @hydikm | 批判的 |
| 2025年7月19日 | 殉教した英雄サッダーム・フセインは、どこにいようとアラブ共同体の人々の心に永遠に生き続けている。見よ、シリアにいる正当なアラブ遊牧民らが、殉教者であり、民族の英雄であるサッダーム・フセインの写真を車に掲げ、シリアのスワイダー県にいる同胞に対する侵攻を撃退するために立ち上がり、駆け付けている。敗者どもは恥を知れ。#イラク #サッダーム・フセイン #シリア #今のシリア #ダマスカス #アフマド・シャルア #アフマド・シャルア大統領 #シリア・アラブ共和国大統領 #スワイダー県 #今のスワイダー県 #ヒジュリー | @mustafakamilm | 好意的 |
| 2025年5月16 日 | 彼らがペルシア人を震え上がらせた者たちだ。二人の勇敢な英雄。それぞれの戦場で犠牲と武勇を示し、歴史に忘れられない足跡を残した。#サッダーム・フセイン #アフマド・シャルア #シリア #イラク | @antfadt | 好意的 |
| 2025年2月14日 | アラブ共同体の指導者、ペルシアを打ち破った者、誇りと尊厳の象徴である殉教したサッダーム・フセイン大統領の写真が、ゾロアスター教徒のペルシア人の穢れから解放された自由なシリアの街中を飾っている。今日はシリア、明日は神の御心によりイラクだ。敗者どもは恥を知れ。 | @ahmediraqi2242 | 好意的 |
| 2024年12月23日 | もしサッダーム・フセインが生きていたなら、シリアのスンニ派は、彼を大統領に選んでいただろう。シリアのスンニ派とバッシャール・アサドの対立は、彼がアラウィー派であり、彼らと同じ宗派ではないのが要因だ。それがすべてだ。 | @hassanalkaaei | 好意的 |
| 2024年12月13日 | このシリア人たちは、国内で活動するイラン人ジャーナリストを苛立たせることに熱心だ。彼らは、サッダーム・フセインの写真を掲げている。 | @mog_russ | 好意的 |
| 2024年12月13日 | BBCペルシア語放送のイラン人女性記者が、自由革命を起こしたシリア人の車に飾られたサッダーム・フセインの写真を見たときの衝撃。ペルシア人やその手先に立ち向かう自由で高潔なすべての人々の心の中にサッダーム・フセインが生きているのは不思議ではない。ありがとう、シリアの自由な人々。ありがとう、レバノンの自由な人々。 | @detectfalsehoo | 好意的 |
| 2024年12月11日 | イラクのシーア派の人たちは、バッシャール・アサドの写真を掲げるようになるだろう。隷属するのが好きな民族だ。 | @safaaalnuaimi | 批判的 |
| 2024年12月10日 | シリア、異例の事態。シリア人がサッダーム・フセインの写真を掲げるのは初めてのことだ。アラブの著名な指導者であり、シリアを除くすべてのアラブ諸国で彼の写真が掲揚されていたが、彼がクウェートを占領してからは、写真を掲揚するのが一部のアラブ諸国で禁止されていた。 | @mog_china | 中立的 |
| 2024年12月9日 | アラブ民族の地シャームである誇り高きシリアから、また解放され自由な首都ダマスカスから、英雄的なシリア国民たちが、誇りと尊厳の象徴であり、自由人たちの指導者、邪悪なペルシア人を打ち破った者、そして不滅のアラブ共同体の指導者である殉教者サッダーム・フセインの写真を掲げている。 | @ahmediraqi2242 | 好意的 |
出所:筆者作成。
閲覧数が1万回を超える投稿の数は限られるものの、表1では、各投稿を、3つの属性で分けた。すなわち、サッダーム・フセインの写真を好意的に捉えていれば「好意的」、否定的に捉えていれば「批判的」、どちらでもなければ「中立」とラベル付けをした。この表より、次のことが明らかになる。第1に、フセインの図像がシリア国内で散見されることについて、賛否両論あるということ、第2に、好意的、批判的のいずれの投稿においても、フセインとアフマド・シャルア(アブー・ムハンマド・ジャウラーニー)を関連付けていること、第3に、好意的な投稿では、フセイン図像の持つアラブ性を強調していること、第4に、批判的な投稿では、図像の持つ宗派性、すなわちスンナ派という属性と、フセインによる過去の圧政とクウェート侵攻を非難していることが分かった。
第4の論点は、サッダーム・フセインの図像がスンナ派アラブというナラティヴを形成するという画像分析の推測を支持していると言えるだろう。また、第3の論点から、画像分析だけでは限定的にしか把握できなかった図像の「アラブ性」が明確化された。
第1節では、分断されたシリア社会において、サッダーム・フセインの図像はどのような役割を果たしているのかを検討するため、仮説を立てた。その仮説は、フセイン図像は、人々の糾合を促すようなナラティヴを形成しているのではないかというものだった。画像の分析と、SNSの言説空間の分析では、フセインの図像がスンナ派アラブという宗派的、民族的ナラティヴを形成していることが明らかになった。
このナラティヴは、宗派的概念を取り付けたアラブ民族主義に依拠して国民を統合しようとしたフセインの統治を思い起こさせる。先述の通り、イラクのバアス党政権はかつて、アラブ民族主義におけるアラブ性(al-’Urūba)とスンナ派という宗派的概念を結び付けることによって、国民を統合し、国家の統治手段としてこの概念を利用していた。つまり、このナラティヴは、スンナ派アラブが多数派を形成するシリア社会(青山[2012])において、確かに多数派の糾合を促す役割を果たすと評価できる。
したがって、フセイン図像が人々の糾合を促すナラティヴを作り出しているという本稿の仮説は、立証されたといえる。
おわりに
本稿の分析の結果、フセインの図像がスンナ派アラブという宗派的、民族的ナラティヴを提示していることが明らかになった。加えて、シリアで拡散するフセイン図像が提示するスンナ派アラブというナラティヴは、スンナ派アラブを多数派とするシリア国民の糾合を促しうると評価できたため、本稿の仮説が立証された。
しかし、シリアはモザイク社会である。青山[2012]によると、宗教・宗派集団に着目すると、イスラーム教のスンナ派(76.31%)、アラウィー派(12.50%)、そしてキリスト教諸派(7.66%)などが暮らしている。また民族・エスニック集団は、多数派を構成するアラブ人(90.22%)のほかに、クルド人(8.00%)などがいる。また、都市と農村の文化や習慣の差、それにともなう経済生活の違いなど、様々な社会的亀裂が存在している(青山[2012])。そのような社会において、「スンナ派アラブ」のみを結節点とすることは不可能である。すなわち、サッダーム・フセインの図像は、スンナ派アラブの市民の糾合を促す役割は持ち合わせているかもしれないが、すべてのシリア国民をその下に結集させるようなナラティヴを生み出す機能は明らかに有していない。そのため、本稿の仮説は「部分的」にのみ立証されうると、ここで結論付けたい。
事実、サッダーム・フセインを嫌うシリアの人々も多い。フセインの統治下で弾圧されたクルド人やシーア派の人たち、さらにはフセインの統治に懐疑的なすべての人が、その図像を見て不愉快になるのは当然のことである。そのような人々を度外視し、フセインの図像を拡散させることは、内戦で深まったシリア社会の亀裂をさらに深め、シリアの統一を妨げることになるだろう。そのため、今後は、モザイク社会を包摂するようナラティヴの形成を促す、さらなるアイコンを見出す必要がある。
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