世論調査による中東地域の政治秩序と変革の実証研究

平成27年〜30年度科学研究費助成事業(基盤研究(B):15H03308)

研究概要

本研究は「民主化」と思われていたはずの政治変動が、大規模な紛争を引き起こすという2010年代のアラブ諸国において、紛争当事国に暮らす人々が政治的自由と秩序維持の板挟み状態にあって、いかなる政治秩序を求めているのかを世論調査で把握する。「アラブの春」を経験した一般民衆は政策による社会不安や経済問題の解消を目指す各国政府に対し、必ずしも満足してはいない。中には個別の政策に対する反発や政治的理想との乖離によって、反体制思想あるいは革命的解決を求める過激思想に傾倒ないし共感することもあり得る。そこで本計画は、(1)政権・政党・党派支持の実証分析、および(2)政治秩序の変革を求める要因の分析、という二つのテーマに焦点を当てて研究を遂行する。

①研究の学術的背景

(1)学術的背景となる現状の認識

2011年に北アフリカから東アラブ地域を経てアラビア半島に未曾有の政治変動が拡散した。大規模な大衆運動とそれによって引き起こされた政治体制の動揺と体制崩壊は、「アラブの春」と呼ばれている。「アラブの春」は大衆運動による民主化であると喧伝されていたが、それはひとつの局面でしかない。国際紛争、地域紛争、国内紛争が絶えないアラブ諸国では、民主化を含むあらゆる政治変動が、政治秩序の安定との兼ね合いで規定されるからだ。「アラブの春」の発火点となったチュニジアでは選挙によって憲法制定議会が設立されたものの、与野党間の対立が暗殺事件を引き起こし、社会不安から脱しきれない。30年間の長期支配を終わらせ「アラブの春」の象徴となったエジプトでは、初の民選大統領であるムルスィーの失政に反発する若者グループが中心となって大規模デモが生じ、これに乗じた軍部がクーデターを起こした。シリアではアサド政権と反体制派の戦闘によって国土が荒廃し、多数の避難民が生じている。

この「アラブの春」を通じて「街頭デモに代表される大衆の意思表示が、アラブ諸国の政治過程のみならず体制変動を引き起こしかねないほどの重要性を持つ」こと、そして治安情勢が悪化するなかで大衆が「サイレント・マジョリティ」をなすことで、混乱の激化、ないしは緩和することが顕在化した。学問的観点から言えば「アラブの春」以前よりも、一般大衆の政治意識や政治的態度、およびその国家レベルの集合的特性である政治文化を研究する必要性や重要性が著しく増したということになる。

(2)現状認識から生じる研究の必要性

以上のことから、「民主化」と思われていた政治変動が、社会秩序を揺るがし大規模な紛争を引き起こすという2010年代のアラブ諸国の実情において、紛争当事国の民衆が政治的自由、民主主義、政治参加、および社会秩序や暮らし向きといった項目にいかなる優先順位を置くのかを把握することは決定的に重要である。「アラブの春」以前も、世論調査を用いた中東政治研究は米国のアカデミアを中心に活発化していた(S. Fish (2011) Are Muslims Distinctive? Oxford UP.; M. Tessler (2011) Public Opinion in the Middle East. Indiana UP.; A. Jamal (2012) Of Empires and Citizens. Princeton UP.; S. Telhami (2013) The World Though Arab Eyes. Basic Books.)。しかし、これらの研究はムスリムの特殊性や地域紛争および米国の中東政策の影響を探索するものであり、必ずしも地域の政治主体の視点に立った現実的な分析とは言えない。

「アラブの春」以後、政治的な発言の自由度が増したことから、政府や軍、警察など統治機構の各部局、政党や社会団体に対する国民の真の態度を知ることが容易になった。政治的態度の測定を可能にする手段が世論調査であり、調査データから政治体制の安定性や強度、および公的配分を通じた国民の動員状況について具体的な分析を行うことができる。このように、フィールドワークとインタビューおよび文献調査が中心だった中東の比較政治研究は多様化し、研究対象の選択や標本の無作為抽出といった方法論が洗練されるようになった。このことによって、これまでの地域研究で蓄積された知見に立脚して計量分析のモデルを構築し、エビデンス(証拠)に基づいて知見を修正、あるいは新知見を体系的に主張できるようになるだろう。

②研究期間内に何をどこまで明らかにするのか

以上の背景から、本研究は紛争当事国の民衆がどのような統治を期待し、政治的自由の要求と秩序維持の間でいかなる均衡状態を求めているのかを世論調査で把握する。「アラブの春」によって生じた政治変動は社会秩序の安定を揺るがした。一般民衆は政策による社会不安や経済問題の解消を目指す各国政府に対し、必ずしも満足してはいない。中には個別の政策に対する反発や政治的理想との乖離によって、反体制思想あるいは革命的解決を求める過激思想に傾倒ないし共感することもあり得る。そこで本計画は、次の二つのテーマに焦点を当てて研究を遂行する。

(1)政権・政党・党派支持の実証分析・・・社会的亀裂の利益調整と正統性の様相・変容

中東地域で一般的な権威主義体制は国民の社会的亀裂、すなわちエスニシティや宗派、階層、部族といった集団に働きかけ、あるいは中央-地方関係や集団間関係を調整することで社会不安を未然に防ぎ、秩序と安定を維持してきた。地域間や集団間の利益が持続的に調整されることによって政権の正統性が維持され、国民は統治に服する。反体制デモの噴出と拡大は正統性の弱体化・喪失の顕在化として捉えられるが、世論調査によって政権の正統性を受容する態度、ないし政権と敵対する勢力への支持から正統性の喪失度合いを示す態度の分布状況を把握できる。過去の我々の世論調査結果(文献リスト1, 2, 10, 26)と比較し、政権の正統性を表す政治文化の様相と変容を分析することによって、政治エリート層の動向観察から窺い知ることのできない被統治者側の動向を明らかにすることができる。

(2)既存の政治秩序に変革を求める要因の分析・・・イスラーム主義に基づく政治思想の様相

地域紛争の激化は既存の政治秩序を破壊し、社会の革命的変化を求めるイスラーム主義思想を呼び込むことがある。中東地域では漸進的なイスラーム復興現象とともに急進的変革を求めるイスラーム主義運動が発生し、しばしば治安当局との軋轢を引き起こしてきた。9.11同時多発テロ以降、イスラーム政治運動に対する公共政策上の関心が高まったにもかかわらず、一般社会におけるイスラーム主義思想の伝播状況の実態については、中東やヨーロッパにおける聞き取り調査によって断片的に知られているに過ぎない。

イスラーム主義に基づく政治思想の伝播は、就職機会等を求めて越境する一般市民の移動経路と重なりあうものと予想される(文献リスト4 ,14, 15, 24, 29, 32, 37, 43)。世論調査によってイスラーム政治運動へのシンパシーを隠さない人々が、いかなる越境移動経験を持つのか、あるいは具体的な越境移動希望を持つのかを明らかにすることで、イスラーム主義政治思想が伝播する様相を特定できるものと思われる。

以上、二つのトピックに焦点を当てた研究のため、(A) パレスチナ自治区内調査、 (B)レバノンのシリア難民調査、(C)イラク南部およびクルド地区調査を遂行する。

③本研究の学術的な特色・独創的な点および予想される結果と意義

本研究計画の特色は、フィールドワークやインタビュー、文献調査に習熟した地域研究者が世論調査の設計からデータの整理までを含む一連の調査手続きに参加している点にある。そして比較政治学理論に通じた研究者と協力し、解きがたいパズルを提示し、調査データの計量分析によってパズルを解くマルチメソッド性にオリジナリティがある。本研究計画は特定国の専門家と比較政治研究者がそれぞれの知見に基づいて、現地の実情から妥当な問題設定を行い、質問票を設計する。

上記(A)〜(C)を世論調査の対象とする理由は以下の通りである。 (A) ガザ地区のパレスチナ人はイスラエルとの「第三次ガザ戦争」を経験した。中東問題の中心にはイスラエル-パレスチナ紛争が鎮座している。継続する占領と抑圧への不満が、イスラエルへの抵抗運動という形で顕在化し、しばしば大規模な紛争へと発展する。 (B) シリア紛争は大勢の難民・避難民を引き起こした今世紀最大の人道危機と言われ、早急な解決が求められている。その一方、彼らの政治的態度や志向性を知ることは、戦闘終結後の平和構築プロセスにおいても有益な情報であり、学術的のみならず実践的意義を有する。(C)イラクとシリアには国境にまたがって「イスラーム国」を名乗る組織が結成され、支配地域を拡大しつつある。よってイラクは、政権の正統性受容の状況と政権に反発する反体制思想およびイスラーム主義思想の分布状況を実証的に把握するには適切な対象だと考えられる。

文献リスト

2014年以降

  • 浜中新吾 (2014) 「アラブ革命の影で—パレスチナ人の国際秩序認識に反映された政治的課題」『国際政治』178: 28-43, 査読有.
  • 山尾大・浜中新吾 (2014)「宗派主義という隘路:イラク世論調査に見る政党支持構造の分析を手がかりに」『日本中東学会年報』30(1): 1-32. 査読有.
  • 浜中新吾 (2014) 「中東諸国の体制転換/非転換の論理」『日本比較政治学会年報』16: 49-77.査読有.
  • 髙岡豊 (2014)「イスラーム過激派とマシュリク社会:「アラブの春」とテロリズムの将来」『アジア経済』55(1): 53-66. 査読有.
  • 髙岡豊 (2014)「「イラクとシャームのイスラーム国」は何に挑戦しているか」『世界』859:20-24.査読無.
  • 髙岡豊 (2014)「シリア:イスラーム過激派の伸長とその背景」『中東研究』519:37-51.査読無.
  • 山尾大 (2014)「外部介入による政治変動と国民統合:イラク学校教科書を中心として」『国際政治』178: 102-117, 査読有.
  • 山尾大 (2014)「ポスト・コンフリクト社会のガバナンスを考える:イラクを事例に」『年報政治学』2014-II: 135-155, 査読有.
  • 山尾大 (2014)「安定化した政党政治:第3回イラク地方県議会選挙の分析」『イスラーム世界研究』7, 298-319.査読有.

2013年

  •  HAMANAKA, Shingo (2013) “Determinants of Attitude toward Political Parties in Palestine,” Asian Journal for Public Opinion Research, 1(1): 7-25.査読有.
  •  Nishikida, Aiko and Hamanaka Shingo (2013) “Palestinian Migration under the Occupation,” Sociology Study, 3(4), 247-260. 査読有.
  • YAMAO, Dai. (2013). “Foreign Impacts Revisited: Islamists’ Struggles in Post-war Iraq”, The World Political Science Review, 9(1), 155-172. 査読有.
  • 山尾大(2013)『紛争と国家建設:戦後イラクの再建をめぐるポリティクス』明石書店. 298頁. 査読無.
  • 髙岡豊(2013)「「潜入問題」再考:シリアを破壊する外国人戦闘員の起源」『中東研究』516: 83-91. 査読無.

2012年

  • 髙岡豊・浜中新吾・溝渕正季(2012)「レバノン人の越境移動に関する経験と意識」『日本中東学会年報』28(1):35-58. 査読有.
  • Hamanaka Shingo (2012) “A Political Mental Map of the Palestinians,” Annals of Japan Association for Middle East Studies, 27(2):29-56. 査読有.
  • Hamanaka Shingo (2012) “The Israeli-Arab Conflict from a Systems Approach,” Japan and Israel: Regional, Bilateral, and Cultural Perspective. (Hebrew University of Jerusalem, Israel, 2012年5月8日) 招待講演.
  • 山尾大・浜中新吾(2012)「イラク国民の政治的認知地図」『季刊アラブ』140: 22-23.査読無.
  • YAMAO, Dai. (2012). “Sectarianism Twisted: Changing Cleavages in the Elections of Post-war Iraq”, Arab Studies Quarterly, 34(1):27-51. 査読有.
  • 山尾大2012「“ハイジャック”された『アラブの春』:サドル派の政策転換とイラク政治の動態」『中東研究』513: 82-93. 査読無.
  • YAMAO, Dai. (2012). “Iraqi Islamist Parties in International Politics: The Impact of Historical and International Politics on Political Conflict in Post-War Iraq”, International Journal of Contemporary Iraqi Studies, 6(1): 27-52. 査読有.
  • 山尾大(2012)「外部介入によるイラクの民主化:戦後民主体制の運営」酒井啓子編『中東政治学』有斐閣、95-108. 査読無.
  • 山尾大(2012)「米軍撤退後イラクの政治対立と合従連衡」『中東研究』515: 55-68. 査読無.
  • 髙岡豊(2012)越境する興奮、越境しない世界観(特集1:中東から変わる世界 第II部「アラブの春」に見る軍・宗教・メディア:地域間比較から)」『地域研究』12(1): 188-199. 査読有.
  • 髙岡豊(2012)「シリア:2012年人民議会選挙から見るアサド政権の基盤構築の営み」『中東研究』515: 101-109. 査読無.

2011年

  • 浜中新吾(2011)「ハイブリッド型権威主義体制の与党支持構造」『アジア経済』52(12):2-30. 査読有.
  • Hamanaka Shingo (2011) “Public Opinion and the Deterrence,” Journal of Political Science and Sociology, 15:21-49. 査読有.
  • 浜中新吾(2011)「中東地域政治システムとイスラエル」『山形大学紀要』42(1):1-23.査読無.
  • 髙岡豊・浜中新吾(2011)「パレスチナ人の越境移動に関する経験と意識」『アジア経済』52(1):24-42. 査読有.
  • 山尾大(2011)「反体制勢力に対する外部アクターの影響:イラク・イスラーム主義政党の戦後政策対立を事例に」『国際政治』166:142-155.査読有.
  • 山尾大(2011)『現代イラクのイスラーム主義運動:革命運動から政権党への軌跡』有斐閣. 350頁. 査読無.
  • 髙岡豊(2011)『現代シリアの部族と政治・社会』三元社. 282頁. 査読無.

2010年

  • 浜中新吾(2010)「中東諸国の世論調査」日本行動計量学会、第38回大会(埼玉大学, 2010年9月25日) 招待講演.
  • 山尾大(2010)「政党の合従連衡がもたらす宗派対立の回避:戦後イラクの政党政治と権力闘争」佐藤章編『新興民主主義国における政党の動態と変容』アジア経済研究所,101-132. 査読有.
  • 山尾大(2010)「多数派形成ゲームとしてのイラク選挙後危機:2010年3月国会選挙後の権力分有をめぐる合従連衡」『中東研究』510:76-91.査読無.
  • 髙岡豊・溝渕正季(2010)「レバノン・ヒズブッラーの政治戦略と「抵抗社会」:抵抗運動と殉教の語り」SIAS Working Paper Series, No.6. 査読無.
  • 髙岡豊(2010)「シリア経由でのムジャーヒドゥーンのイラク潜入の構図:世論調査を基にした検証」『日本中東学会年報』26(1):41-74. 査読有.

2009年以前

  • 浜中新吾(2009)「ムスリム同胞団とコオプテーションの政治」『日本中東学会年報』25(1):31-54. 査読有.
  • 浜中新吾(2009)「比較政治体制理論と中東地域研究の調和と相克」『山形大学紀要』39(2):21-61. 査読無.
  • 青山弘之・浜中新吾(2009)「シリア国民の政治的認知地図」『現代の中東』46:2-21. 査読有.
  • YAMAO, Dai. (2009). “An Islamist Social Movement under the Authoritarian Regime in Iraq during 1990s: A Study on the Shiʻite Leadership of Ṣādiq al-Ṣadr and its Socio-political Base”, Annals of Japanese Association for Middle East Studies, 25(1): 1-29. 査読有.
  • YAMAO, Dai.2009. “The Hidden Surge of the Shiʻite Authority under the Ṣaddām Regime in Iraq: A Social Movement of the Second al-Ṣadr in the 1990s”, Journal of Greater Middle East Studies, 1(2):33-77. 査読有.
  • 髙岡豊・浜中新吾(2009)「シリア人の国境を越える移動に関する意識と経験」『現代の中東』47:2-17. 査読有.

研究構成員

研究代表者

研究分担者

  • 髙岡豊(財団法人中東調査会上席研究員)
  • 山尾大(九州大学大学院比較社会文化研究院准教授)

研究協力者

  • 青山弘之(東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授)
  • 溝渕正季(名古屋商科大学経済学部准教授)

所属は2016年4月現在

研究成果

研究会合

第1回研究会合

  • 開催日:2015年5月16日
  • 会場:同志社大学
  • 報告:基調報告および今後の計画(浜中新吾)

龍谷大学 政治学コロキアム(研究発表)