ヌスラ戦線の組織構造:徹底した秘密主義のもとで判明するいくつかの実態

CMEPS-J Report No. 74

木戸 皓平

(2023年12月26日)

はじめに

ヌスラ戦線(シャームの民のヌスラ戦線、Jabha al-Nusra li-Ahl al-Sham)は、もともとアル=カーイダのシリア支部として設立された組織であり、2011年11月にその存在が公表されてから約1年後にあたる2012年12月に米国務省によって「イラクのアル=カーイダ」(Tanzim Qa‘ida al-Jihad fi Bilad al-Rafidayn)の別称としてFTO(Foreign Terrorist Organization、外国テロ組織)指定を受けただけでなく、2012年後半において「反政府勢力のなかでもっともポジティヴかつ成功した組織」(The Washington Post, November 30, 2012)と評されるほどの実力を誇った。ヌスラ戦線はその後、シャーム・ファトフ戦線(Jabha Fath al-Sham)、現在のシャーム解放機構(Hay’a Tahrir al-Sham)など、その他の多数の組織との合従連衡を繰り返しながら、次々にその様態を変えてきた。

公式旗を掲げて行進するヌスラ戦線の戦闘員ら(Snack Syrian.com, August 31, 2019)

一方、2016年7月にアル=カーイダとの絶縁を表明するとともに、シャーム・ファトフ戦線へと名称を変更する以前のヌスラ戦線の組織構造については、同組織から直接発信される一次情報として入手できる情報が極めて少なく、特にその軍事構成について不明瞭なところが多い。実際、イスラエルの研究機関であるITIC(The Meir Amit Intelligence and Terrorism Information Center、メイル・アミト諜報テロ情報センター)も、ヌスラ戦線について「組織にかかわる問題についてのいかなる公の議論も避け、一部のプロパガンダ資料を除き、組織の構造、指揮系統、機能に関する信頼できる報告書を一切発表してこなかった」(ITIC [2013: 70])と評しており、同戦線を分析対象とするうえでの困難性を裏づけている。この理由の一つとしては、シリアにおける「アラブの春」が当初民衆蜂起としての様態を保っているなかで、特にアル=カーイダとの関係性を隠ぺいすることを目的として、ヌスラ戦線が指導者の身元を含む組織の実態を公開することをことさらに拒んできたことを挙げられようが、これまでに発表されたいくつかの報道や先行研究を参照すると、その組織構造が概略的ながらも浮かび上がってくる。

意思決定構造

まず本稿が依拠しているいずれもの資料が共通して指摘しているのは、2016年7月以前のヌスラ戦線の最高決定機関が、現在では過去にイラクのアル=カーイダのもとで思想的・軍事的な教練を受けたシリア人であることが周知されているアブー・ムハンマド・ジャウラーニー(本名:アフマド・フサイン・シャルア)を頂点とし、計12人のメンバーからなる「シューラー評議会」(正式名称:ムジャーヒディーンのシューラー評議会、Majlis Shura al-Mujahidin)であったことである。この認識はメディアやシリア政府の公式見解においても確認できるように、ヌスラ戦線がシャーム解放機構へと名称を変更し、イドリブ県に拠点を置くシリアの非国家主体としての定評を確立させた2023年現在でも変わらず、信ぴょう性は高い(al-Sharq al-Awsat, August 18, 2023)。ヌスラ戦線のすべての軍事的・政府的枠組みはこのシューラー評議会に従属しており、同戦線の各指導部は作戦、資金調達、武器の購入とシリアへの密輸、宗教問題、対外関係に選任する指定委員会と高官らによって構成されていたものとされる。

同評議会には少なくとも2013年末までには、指導者であるジャウラーニーのほか、アブー・マーリヤー・カフターニー(イラク出身、2023年にイドリブ県で死亡したとの説が浮上)、アブー・ジュライビーブ・ウルドゥニー(ヨルダン出身、2018年に殺害)、アブー・スライマーン・ムハージル(オーストラリア出身)、アブー・フィラース・スーリー(シリア出身、2016年にイドリブ県で殺害)、アフマド・サラーマ・マブルーク(エジプト出身、2015年にイドリブ県で殺害)など、ほとんどが過去にシリア国外でジハード主義の教練を受けた者らが加わっており、2015年末までにはアル=カーイダのベテラン高官であるサイフ・アーディル(エジプト出身、アル=カーイダの現指導者と目される)もメンバーとして確認されるようになった。

シューラー評議会はヌスラ戦線の全体的な戦略を決定し、よりインターナショナルなアル=カーイダ・ネットワークとの連絡を調整するにあたっての全権を担っており、同評議会の下部に位置づけられるかたちで、南部シリア、ダマスカス、ヒムス、イドリブ、アレッポ、ハマー、ラタキアを含む計7つの地域に「地区指導部」(アラビア語はQiyada al-Mintaqaだと思われる)が設置された(Lister [2016])。ただしこの場合の地区指導部とは、いかにも国家内分権を思わせるその語感とは裏腹に、主には各地における軍事面での統一された指揮を行う、より正確には「地域司令部」としての側面が強いものだったことに留意されたい。これはむろん、ヌスラ戦線が特に2016年にイドリブ県に定着する以前に(青山[2021])、安定した地方自治制度を実施しうるような恒常的な支配地域を持たなかったためであり、この点に関してCafarella [2016]も、ヌスラ戦線の地区指導部が「戦力の経済性を最大化するかたちで、シリア国内のすべての戦線に兵力を分散させる」ためのツールであり、たとえばイスラーム国が提示し、明確化された領域や資金源に裏打ちされた「州」(Wilaya)とは異なる概念であるとの指摘を行っている。

一方、シューラー評議会や地区指導部にならんで、ヌスラ戦線の意思決定機関としてきわめて重要な役割を果たしたのが大ムフティー(al-Qadi al-‘Amm)を頂点とする宗教ヒエラルキー構造である。ヌスラ戦線の宗教的最高権威である大ムフティーの地位には当初、前述のアブー・マーリヤー・カフターニーが就任した。カフターニーは2014年にアブー・マフムード・シャーミー(本名サーミー・マフムード・ウライディー、ヨルダン出身、フッラース・ディーン機構の現宗教指導者)にとって代わられたが、彼らはともに大ムフティーの地位に就いている間、ヌスラ戦線の「事実上の副指導者」(de facto deputy leader、Lister [2016]、Counter Extremism Project [2023])と目された。またヌスラ戦線は各地区指導部を運営するうえで、責任者である「司令官」(Amir)にならんで「法務官」(Dabit al-Shari’a)を設置し、後者にイスラーム的な観点から前者の行動を監視・監督する任務を負わせた。それぞれの地区指導部は司令官と法務官によって事実上の二頭制指揮がなされるかたちがとられており、両者はともに軍事、援助、イスラーム、調停活動に関する組織の活動の責任を担っていたという(Lister [2016])。これらの事実から、ヌスラ戦線の意思決定に関して、少なくとも客観的に観測できる組織構造上では、宗教的ないしはイスラーム的な要素がいかに重視されていたかをうかがい知ることが可能だろう。

アブー・ムハンマド・ジャウラーニー(写真中央)とアブー・マーリヤー・カフターニー(写真左)(Enab Baladi.net, September 2, 2022)

軍事構成

先に述べたように、特にアル=カーイダとの断絶を表明する以前に、指導者の身元すら公にしない、なかば地下組織として活動していたヌスラ戦線の軍事指揮系統については、アクセス可能な情報が極めて不足しており、不明瞭なところが多い。またシリア内戦全体を通して、参戦した非正規軍(民兵)の戦闘員数に関しても、組織それ自体ないしは組織に親和的な勢力による誇張や、対抗勢力による過小評価が加えられることが常であり、その正確な数値を導き出すことは不可能に近く、これはヌスラ戦線も例外ではない。それでもなお、シリア内戦初期(2012~2014年) のヌスラ戦線の軍事構成について、研究者らやジャーナリストらによって興味深い報告がなされており、いくつかを抜粋してみたい。

具体的には英国のクィリアム財団はレポートのなかで、2012年12月の発行日時点で、ヌスラ戦線が5,000人の正規メンバーを擁していたと推定している。彼らは配属される場所(おそらくは各地区指導部の所轄地域と同一)に応じてその戦術を変えており、ダマスカスでは、小規模な「細胞」(Khaliya)に分割された戦闘員らが都市ゲリラ戦術を用いており、アレッポでは従来型の軍事路線に沿って組織された「旅団」(Liwa’)、「連隊」(Sariya)、「小隊」(Wahda)のすべてが連携して政府軍に対峙していたという(Noman and Blake [2013])。一方でal-Mustafa [2013]はヌスラ戦線の軍事構成について、同戦線の司令官に直接実施されたインタビューや、同戦線とともに戦闘に参加した研究者らの証言を根拠としつつ、計15~25人の戦闘員によって構成される「集団」(Majmu‘a)と、複数の「集団」を包括するかたちで計100~200人の戦闘員によって構成され、地区指導部の司令官による直接の指揮を受ける「連隊」(Sariya)の存在を挙げており、この上層分類の呼称が「場合によって異なる」との補足は、クィリアム財団が引用済みのレポートで行っている指摘の信ぴょう性を裏付けるものでもある。

一方、ITIC[2013]は、2013年9月時点のヌスラ戦線の戦闘員数が、クィリアム財団が2012年末に行った推計値から「数千人は増加している」と推定しており、その根拠として「ヌスラ戦線は8,000人以上のメンバーを有しており、その数は依然として増え続けている」とするヌスラ戦線司令官アブー・ムハンマド・アターウィーの証言を引用した。また『ワシントン・ポスト』紙は2012年11月30日付(The Washington Post, November 30, 2012)で、自由シリア軍(諸派)がヌスラ戦線の戦闘員数について独自に行い、のちに米国防省に報告した推計値を以下のように掲載している。

    1. アレッポ県:約2,000人
    2. イドリブ県:約2,500~3,000人
    3. ダイル・ザウル県:約2,000人
    4. ダマスカス県:約750~1,000人
    5. ヒムス県、ダルアー県、ラタキア県:約1,000人

ワシントン・ポストの記事では、自由シリア軍がこれらの数値をいかなる手法を用いて導き出したかは明らかにされていない。しかし、これが当時ヌスラ戦線に対して敵対的とも協力的ともつかない、なかば中立的な姿勢を示していた自由シリア軍による推計値であることや(シリア・アラブの春顛末記、2012年12月12日)、計8,250~9,000人とされる数値に、他の媒体による推計値と比べて、万人単位の大幅な誤差が生じているわけではないことを鑑みても、そこには一定の信頼性を認めうるといえるのではないだろうか。いずれにせよヌスラ戦線は特にシリア内戦初期、シリアに「アラブの春」が波及した当時シリア政府が動員可能であったとされる30万人超という常備軍に対して(木戸[2023])、量的に極めて不十分な兵力しか有していなかったことは確かであり、ジャウラーニー率いるシューラー評議会を頂点とするトップダウン式の意思決定構造のもとで、活動する地域に合わせた戦術や編成手法を戦略的に選択することで、かろうじて政権軍への対峙していたのが実態であると考えられる。

シャーム解放機構の軍事ユニット

最後に補足事項として、2023年現在イドリブ県内にほぼ限定された領域で、シリア軍との散発的な軍事衝突を繰り返している反体制組織シャーム解放機構のなかで、現状運用されているとみられる軍事ユニットを一覧化してみたい。なおシャーム解放機構が成立したのは2016年11月であり、これまで筆者がヌスラ戦線の組織としての実態をみるために、特に注目してきたシリア内戦初期という時期からは隔たりがある。しかし、先述の通り、ヌスラ戦線は当初長期にわたる地下組織として活動方針を保っていたことから、同戦線内で当時運用されていた各軍事ユニットの実態について現在アクセス・実証可能な情報はきわめて限定的である。また本レポートにおいて、筆者はシャーム・ファトフ戦線を経てシャーム解放機構へと行きつくまでのヌスラ戦線の変化について、これが単なる名称の変更を越えるものではないとの立場をとっており、ヌスラ戦線とシャーム解放機構がアル=カーイダ系の同一組織との認識に対しては、国連、米国政府、トルコ政府といった主要な主体間においてもコンセンサスが生じていることから(青山[2019])、本補足の試みがヌスラ戦線の軍事構成を概説しようとの本レポートの主旨から外れるものではないと考えられる(Amjad, July 28, 2023、al-Souria.net, December 12, 2022、North Press Agency, August 4, 2022、Syria TV, April 20, 2020、April 29, 2020、Ugarit Post、Step News, September 24, 2020などをもとに作成)。

タルハ・ブン・ウバイドゥッラー旅団(Liwa’ Talha Bn ‘Ubayd Allah)

結成日:2020年4月15日
司令官:アブー・ハフス・ビンニシュ
戦闘員、特殊部隊員で構成された戦闘旅団で、市街戦に特化した特殊教練コースを受けている。司令官に任命されたビンニシュは、アブー・アブドゥッラフマーン・ザルバとともに機構の経済運営を担当していた高官の一人であり、ジャウラーニーと深い関係にあると目される。

ウマル・ブン・ハッターブ旅団(Liwa’ ‘Umar Bn al-Khattab)

司令官:アブドゥッラー・マンスール
結成日:2020年4月15日
戦闘員、特殊部隊員で構成された戦闘旅団であり、前身は2018年以降、アレッポ旅団、ハマー旅団、東部旅団を包括する上位編成として運用されていた同名の「軍」(Jaysh)。2020年春に、それまで4の「軍」、12の「旅団」(Liwa’)の二層形式で運用されていた軍事構造に改革が生じたことにともない、一元化された「旅団」へと再編成される。

(Syria TV, September 23, 2020)

アリー・ブン・アビー・ターリブ旅団(Liwa’ ‘Ali bn Abi Talib)

結成日:2020年4月14日
司令官:アブー・バクル・マヒーン
戦闘員、特殊部隊員で構成された戦闘旅団であり、司令官のマヒーンは「(機構内の)指導力と重要な地位をジャウラーニーおよびアブー・マーリヤー・カフターニーに近い人々に限定する方針をもはや受け入れないという明確なメッセージ」(Syria TV, April 20, 2020)として2020年4月7日に辞任を表明した、シャーム解放機構の元高官アブー・マーリク・タッリーの側近と目される人物。

アブー・バクル・スィッディーク旅団(Liwa’ Abu Bakr al-Siddiq)

司令官:不明
編成日:2020年4月
戦闘員、特殊部隊員で構成された戦闘旅団であり、前身は2018年8月以降、バディーヤ旅団、イドリブ旅団、ヒムス旅団を包括する上位編成として運用されていた同名の「軍」(Jaysh)。2020年春に、それまで4の「軍」、12の「旅団」(Liwa’)の二層形式で運用されていた軍事構造に改革が生じたことにともない、一元化された「旅団」へと再編成される。

ウスマーン・ブン・アッファーン旅団(Liwa’ Uthman bn ‘Affan)

司令官:不明
編成日:不明
戦闘員、特殊部隊員で構成された戦闘旅団であり、前身は2018年8月以降、国境旅団、砂漠旅団、シャーム旅団を包括する上位編成として運用されていた同名の「軍」(Jaysh)。2020年春に、それまで4の「軍」、12の「旅団」(Liwa’)の二層形式で運用されていた軍事構造に改革が生じたことにともない、「旅団」へと再編成される。

ムアーウィヤ・ブン・アビー・スフヤーン旅団(Liwa’ Mu‘awiya bn Abi Sufyan)

司令官:不明
編成日:2020年春
戦闘員、特殊部隊員で構成された戦闘旅団であり、2022年12月10日にラタキア県北部農村地帯にあるバイダー村一帯枢軸で、政府軍に対する要撃作戦などに従事。

ズバイル・ブン・アッワーム旅団(Liwa’ al-Zubayr bn al-‘Awwam)

司令官:不明
編成日:不明
戦闘員、特殊部隊員で構成された戦闘旅団であり、2022年12月10日にイドリブ県東部のダディフ枢軸において、政府軍の拠点に対する潜入・爆破作戦などに従事。

アブドゥッラフマーン・ブン・アウフ旅団(Liwa’ ‘Abd al-Rahman bn ‘Awf)

司令官:不明
編成日:2020年春
戦闘員、特殊部隊員で構成された戦闘旅団であり、2023年7月28日にアレッポ県西部のバスラトゥーン村一帯で、親政権民兵に対する狙撃作戦に従事。

(Syria TV, September 23, 2020)

ズバイル・ブン・ウムール旅団(Liwa’ Zubayr bn al-‘Umur)

司令官:アブー・ムハンマド・シューラー
結成日:2020年4月14日

サアド・ブン・アビー・ワッカース旅団(Liwa’ Sa‘d bn Abi al-Waqqas)

司令官:アブー・クタイバ・シャーミー
結成日:2020年4月15日

(Syria TV, September 23, 2020)

サイード・ブン・ザイド旅団(Liwa’ Said Bn Zaid)

司令官:不明
編成日:2020年春

アブー・ウバイダ・ジャッラーフ旅団(Liwa’ Abu Ubaida al-Jarrah)

司令官:不明
編成日:2020年春

これら旅団の人員数については依然として明確でないものの、ユーフラテス研究センターは、シャーム解放機構が拠点としているイドリブ県の住民が困難な経済状況に置かれているなかで、現金報酬あるいは食糧配給によって大規模な人員調達を可能にしたことを背景に、それぞれがおよそ2,000~3,000人の戦闘員を含んでいる可能性が高いと推察している(Markaz al-Frat li-l-Dirasat [2022])。またウェブニュース・サイトのステップ・ニュース(Step News, September 24, 2020)は、2020年春にシャーム解放機構内で軍事構成の刷新がなされるとともに一層化された計12の旅団のうち、6旅団が政府軍に対する軍事作戦を任務とする戦闘旅団(Liwa’ Muqatila)であり、残りの6旅団が治安維持、検問所運営、兵站などに携わる普通旅団(Liwa’)であると報じている。しかしシャーム解放機構の広報部門であるアムジャード広報機構(Mu’assasa Amjad al-I‘lami)のウェブサイト(Amjad, various issues)を参照すると、同機構傘下のおおむねすべての旅団は各地で政府軍に対する何らかの戦果を挙げていることが喧伝されており、そのため各旅団に主軸となる任務が割り当てられてはいることは確かだとしても、それは戦況に応じて可変とされているのが実態だと思われる。

おわりに

筆者は本稿でヌスラ戦線の意思決定構造および軍事構成を概説することにならび、補足事項として現在活動する同戦線の別名であるシャーム解放機構の軍事編成を一覧化することを試みた。これにより意図せず浮かび上がることになったのは、ヌスラ戦線のメディア戦略と、前身や立脚するイデオロギーの近似性から、一時は活動領域が異なるだけの同一組織として目されたこともある「イスラーム国」(al-Dawla al-Islamiya)のメディア戦略の差異である。イスラーム国は発足当初からアブー・バクル・バグダーディーをトップ(カリフ)とするグローバルなカリフ制国家として自らの特出性を盛んに喧伝していたことはいうまでもなく、ツイッター(当時)や、公式メディア機関であるダービク(Dabiq)を通じたメディア戦略を極めて重要視していたものとされ、そこでは司令官らのインタビューや戦闘員の訓練風景、各軍事ユニットの名称・戦果などが余すことなく公開された。これに対しヌスラ戦線は、「バッシャール・アサド体制の打倒」ないしは同政権からのシリアの「解放」(Tahrir)以上の(理念的)目標を明確化することは(現在に至るまでも)なかったばかりか、本レポートにおいて筆者が困難に直面したように、組織構造を分析するための一次資料となりうる情報をほとんど公開してこなかった。

ヌスラ戦線はのちにシャーム解放機構として、本稿でもそのサイトを引用しているアムジャード広報機関を設立し、イスラーム国の手法にのっとった盛んなメディア宣伝に着手するようになるが、シャーム解放機構自体は、ヌスラ戦線、シャーム・ファトフ戦線、シャーム解放機構はいずれも別組織であるとの立場を固持しているために、これもシリア内戦の通史における同戦線の組織形態の全貌を明らかにするうえで、十分な情報を提供するものとは言いがたい。

いずれにせよシリア内戦は、一般的に想像される、政府の維持が脅かされるほどの大規模な反体制運動としてはその終結を迎えたとはいえ、国家の領土内で継続的な武力衝突が生じている現行の紛争であることは確かである。したがってヌスラ戦線に限らず、同内戦に参画した(している)非国家主体の全貌に近づくためには、今後あらたに供給されうる資料・研究をもとにしたさらなる分析が求められることは間違いなく、本邦で地域研究に携わるものとしてそれらを可能な限り網羅的にフォローする責務を強く感じる次第である。「混迷」(青山[2012])、激動、「膠着」(青山[2021])の時代を経て、再び安定した国家へと回帰を模索しているシリアの情勢を、引き続き注意深くフォローしていきたい。

参考文献リスト

<日本語文献>

<外国語文献>

<定期刊行紙・Webサイト>