中東の紛争地に関係する越境移動の総合的研究:移民・難民と潜入者の移動に着目して

平成24年〜26年度科学研究費補助金(基盤研究(B):16H03307)

研究概要

本研究は、シリア、イラクでの紛争に起因して生じている越境移動について、移動を行う「移民・難民」やイスラーム過激派などに合流を試みる「潜入者」がどのような政治意識を持ち、いかなる動機や情勢判断に基づき移動を行うか、また、移動先と経由地をどう決定しているのかを解明することを目的とする。この点を明らかにするため、移民・難民や潜入者が属する社会集団の属性(年齢、性別、出身地、経済階層など)に特に着目することで、その実像に迫る。分析の対象には、紛争地から外部に流出する移民・難民と、逆に外部から紛争地に流入する潜入者の双方を含める。それにより、いかなる要因が移動の方向性を決めるのか、紛争の動態と人の移動の関係性や、地域紛争が国際社会に与える影響などを総合的に明らかにする。

1.学術的背景と着想の経緯

本研究は、シリア、イラクでの紛争に起因して生じている大規模な越境移動について、紛争地から外部に流出する移動(移民・難民)と、外部から紛争地に流入する移動(潜入者)の双方に着目し、移動を行う人々が属する社会集団の実態を「出身地」、「経由地」、「移動先」のそれぞれの視点から、彼らがいかにして移動先や経由地を決定しているのかを総合的に解明することを目的とする。この目的を達成することにより、シリア、イラクでの紛争の実態を多面的に理解することが可能となる。

2011年3月にシリアで発生した改革要求・抗議デモは、政府側の弾圧と反体制派の武装闘争路線により、大規模な武力衝突に発展した。衝突には、紛争の原因と解決策について異なる見解を抱き、紛争地に利害関係を持つ外部の諸当事者が参入したため、シリアでの紛争は単独の国家の領域内でその国家に起源をもつ主体の間での政治権力や領域の争奪としての内戦ではなく、国際紛争と呼ぶべきものとなった。特に、「イスラーム国」がイラクとシリアとにまたがって広範な地域を占拠したことは、両国における現下の紛争が国際的な紛争であることを象徴している。その結果、シリア、イラクをめぐる大規模な人口移動が生じた。そこには国内外での移民・難民だけでなく、「イスラーム国」などの武装勢力諸派に合流しようとする戦闘員や、彼らの同伴者からなる潜入者も存在する。この双方向的な移動の営みは、規模の面では前者が圧倒的に多数ではあるが、社会的な影響の面では後者も劣るものではない。すなわち、シリア、イラクでの紛争に起因する越境移動については、紛争地から流出する移動と、紛争地に流入する移動の双方向の移動を、総合的にとらえる必要があると考えられる。

人の移動に関する従来の研究は次の3つに大別される。(1)越境移動の受け入れ国が採用する移民政策に着目するもの、および受け入れ国の国民が移民をいかに統合するのかを世論調査で明らかにしようとするもの(一例として河原・玉田・島田編2011)。もしくは(2)送り出し国側のさまざまな実情、具体的には紛争、飢餓、経済的苦境など移民が押し出されるプッシュ要因に着目するもの(日本比較政治学会編2009)。(3)移民・難民の越境移動を支援・仲介する国際機関の活動・政策に注目するもの(小泉2009)、である。一方、中東での紛争にまつわる越境移動についても、多くの先行研究がある。それらによると、難民といえども、単に紛争から逃れるだけでなく、その移動の実態や動機は多岐にわたっていることが明らかになっている。例えば、パレスチナ難民の越境移動について経済的なプッシュ・プル要因から分析した研究(al-Qutub 1998)の他に、所持する旅券や移動先、経由地の入管政策の重要性を指摘した研究(錦田2010)などがなされてきた。また、経済的な動機による移民についても、賃金の高低、雇用機会の多寡などの動機だけでなく、先行して居住している親族の有無や、行先の出入国管理政策が重要であると指摘する研究(EUROSTAT 2000)もある。一方、紛争地への外国人戦闘員らの流入についても、その動機や誘因、社会的な属性の多様性が知られている。彼らはインターネット上の仮想空間での意思疎通を通じて移動を決めることが注目を集めているが、実際の移動では直接的な人間関係を通じた選抜・教化、ならびに現地で支援してくれる縁者の存在が重要との見解が主流である(Hegghammer Forthcoming)。以上に鑑みると、越境移動を行う者や彼らが属する社会集団に対してよりきめの細かい調査を行うことが、どのような個人・集団がどのような条件下や契機で移動を決定するのかを解明する上で重要である。こうした点に配慮した調査を通じて、紛争と人の移動、それに対して国内政策や国際機関が及ぼし得る影響、地域紛争と国際社会の間の相互作用などについて、総合的に明らかにできることが期待されるからである。 申請者らは、アラブ諸国民の越境移動や政治意識について、世論調査とそれに基づく研究を行ってきた(業績:4.10.21.29.44.48.49.50など)。また、各々が専攻する地域の政治・外交情勢や、イスラーム過激派の活動について学術的な業績を発表してきた(業績:1.7.8.12.14.15.21など)。既存の成果を踏まえ、研究対象をより広く、越境移動する者の「出身地」、「経由地」、「移動先」に広げた包括的な研究に発展させるべく、今次の研究計画を構想した。

2.期間中に達成すべきこと

本研究では、越境移動をする者の「出身地」、「経由地」、「移動先」に相当するイラク、シリア、そしてこの二国と国境を接するトルコ、レバノン、ヨルダン、そしてイラク、シリアからの移民がめざす欧州諸国で質的・量的調査を相互補完的に実施することを通じ、彼らがなぜ、どのようにして越境移動を行うか否か、どのような国・地域を経由地や移動先として選択するのかを解明する。また、出身地や移動先の政治や社会に対する意識や、イスラーム過激派の思考・行動様式に対する意識も、彼らが越境移動を行ったり、移動先で生活したりする上で重要な要因となっていると考えられる。よってこの点についても量的調査の手法に基づく実証を伴う形で明らかにする。とりわけ、紛争地に流入する越境移動については、移動する主体の動機の分析がイスラーム過激派の広報活動の一環として提供される情報に依拠する傾向が強いため、これについての仮説を整理し、総合的に実証する。

3.学術的特色と期待される成果

本研究は、シリア、イラクでの紛争に起因する越境移動について「流出」、「流入」の双方で「予め移動先に支援が期待できる知人や縁者がいること」、および「移動先や経由地での出入国管理政策」が重要な要素となっていることに着目し、越境移動をする者が、移動を行うか否か、移動先と経由地をどこにするのかを決定するメカニズムの解明を図るものである。すなわち、本研究は「環境的な制約の下で最適な行動として越境移動を選ぶ個人」というモデルを想定し、現地調査で得た仮説を世論調査データで検証するという実証主義を採用している点が顕著な特色である。このような着想は、現在世界的な問題と化している移民・難民の受け入れ・包摂の問題や、イスラーム過激派による人員勧誘の問題に対応した研究を可能とする実践的なものおよび政策的なものである。本研究で移民・難民と潜入者を同時に扱うことにより、紛争の実態とそれが国際社会に及ぼす影響を総合的に分析することが可能となる。

また本研究は、本課題申請者を含む研究者がこれまで達成してきた研究成果と共同研究体制の一部を継承しつつ、その対象地域をトルコ、欧州に拡大したものである。このため、これまでの成果を踏まえた円滑な仮説の生成と質問票の作成を行うこと、及び先行の調査結果との比較研究が可能である。こうした経験を基に新たにトルコおよび欧州、とりわけシリア難民・イラク難民を寛容な政策によって惹きつけているスウェーデンで調査を実施することにより、越境移動のメカニズムを方法論的個人主義に基づいて解明することが期待できる。

参考文献

  • 河原祐馬・玉田芳史・島田幸典編2011.『移民と国家:ナショナル・ポピュリズムの国際比較』昭和堂.
  • 小泉康一2009.『グローバリゼーションと国際強制移動』勁草書房.
  • 錦田愛子 2010.『ディアスポラのパレスチナ人:「故郷(ワタン)」とナショナル・アイデンティティ』有信堂.
  • 日本比較政治学会編2009.『国際移動の比較政治学』ミネルヴァ書房.
  • EUROSTAT 2000. Push and Pull Factors of International Migration: A Comparative Report. Luxemburg Office for Official Publications of European Communities.
  • Hegghammer, Thomas. Forthcoming. “Interpersonal Trust on Jihadi Internet Forums,” in Diego Gambetta, ed. Fight, Flight, Mimic: Identity Signaling in Armed Conflicts.
  • al-Qutub, Ishaq Y. 1998. “Palestinian Labor Migration” in Mohammed Shtayyeh ed. Labor Migration: Palestine, Egypt, Jordan and Israel. Jerusalem: Palestinian Center for Regional Studies, 3-47.

研究構成員

研究代表者

  • 髙岡豊(公益財団法人中東調査会上席研究員)

研究分担者

  • 浜中新吾 (龍谷大学法学部教授)
  • 山尾大(九州大学大学院比較社会文化研究院准教授)
  • 今井宏平(日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター研究員)

所属は2016年4月現在

研究成果